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お夏の方(大奥の人)
 テレビドラマ「大奥」の影響かなと思いますが、最近、「お夏の方」の検索で訪問いただく方が多くなりました。
 テレビドラマ「大奥」は、漫画が原作で、「将軍は女、仕えるのは美男3000人」という男女が逆転した大奥を描いているようです。
 映画「大奥」も12月に公開されるようです。
 このドラマや映画のストリーがどうかは別として、今日は歴史上のお夏の方について書いてみます。

 お夏の方は、三代将軍家光の側室で、家光の次男である甲府宰相綱重を産みました。家光が亡くなった後は落飾し順性院と名乗りました。
お夏の方(大奥の人)_c0187004_222272.jpg 将軍の妻妾と子供たちの略歴を書いた「幕府祚胤伝(そいんでん)」という資料によると
 「岡部八左衛門重家の女(むすめ)、藤枝日向守重昌の姉」と書かれていて、武士の娘のように書かれていますが、元々は、京都の町人弥市郎の娘と言われています。
 岡部八左衛門重家というのは、父が出世して武士になった後の名前のようです。

 お夏は、寛永8年、京都の公卿鷹司家へ仕えました。そして鷹司家の娘孝子が家光の正室となったため、孝子の御伴で江戸に下向しました。
 そして、本丸大奥に勤めている間に、家光の目にとまり(というより、入浴の世話をしていた時に、家光の手がついたようですが)、家光に愛されるようなりました。

 そして、生まれたのが、綱重です。綱重が幼名長松と言いました。
 しかし、綱重が生まれた時、家光が40歳の厄年であり、当時厄年に生まれた子供は父によいことがないと考えれられていたことから、家光の姉である千姫(天樹院)の養子とされることとなり、お夏の方も天樹院の屋敷に移り、そこで長松を産みました。

 長松は、6歳で竹橋に屋敷を拝領し、8歳の時には15万3千石と賜り、10歳で元服し綱重と名乗ることとなりました。
 そして、万治4年(1661)に17歳で甲府25万石を賜り、そして参議に任ぜられ甲府宰相と呼ばれるようになりました。
 宰相とは、参議に任ぜられた人の呼ぶ名前です。
 しかし、延宝6年(1678)に綱重は兄の4代将軍家綱に先立って35歳の若さで亡くなってしまいました。
 、延宝8年(1680)に家綱が亡くなっていますので、もし、もう少し長生きしていれば、5代将軍は綱重になったはずです。
 しかし、綱重が亡くなっていたため、お夏の方の競争相手のお玉の方が生んだ綱吉が5代将軍となりました。

 お夏の方の父や弟は、お夏の御蔭で出世しました。 
 父の弥市郎は、一旦岡部八左衛門となのりましたが、綱重が甲府25万石の大名になると 藤枝摂津守重家と名乗り甲府宰相家の家老となりました。
お夏の方(大奥の人)_c0187004_13323378.jpg また、お夏の方の弟も重昌と名乗り、甲府家の家老となりました。
 このように側室の力によって出世した大名を「蛍大名」と言いました。
 お尻の光で出世した大名という意味のようです。 
 しかし、側室のお夏の方の力によって5千石の旗本となった藤枝家ですが、江戸時代中期の天明年間に、また世間の注目をあびることになります。
 重昌から7代目になる藤枝安十郎教行は、天明5年(1785)7月13日に吉原京町2丁目大菱屋の遊女綾衣と、千束村で心中し藤枝家は改易となってしまいました。

 江戸では次のように唄われました。
  君と寝ようか五千石取ろか 何の五千石君と寝よ

 この心中を題材に岡本綺堂が「箕輪心中」という小説を書いているようです。
 旺文社文庫の岡本綺堂「江戸情話集」の中に載っています。

 「箕輪心中」について、忍び駒様から豊かな内容の次のコメントをいただきましたので掲載させていただきます。
 
 天明5年、旗本藤枝外記が吉原大菱屋の遊女綾衣と心中し、本文にあるように小唄に唄われました。この事件を題材とした歌舞伎が、岡本綺堂の『箕輪心中』ですね。
 ご存知のように岡本綺堂の心中ものの第一作として大評判になったものです。
 藤枝外記は武芸にも優れた武士でありながら、家を捨て、遊女への愛に命を掛け、廓を抜けた綾衣の隠れ住む箕輪の乳母の家で心中します。お盆の十三日の夜のことです。
 明治44年の初演で、藤枝外記は二代目市川左団次、綾衣は四代目澤村源之助でした。
 そして、澤村源之助といえば浅草田圃に住んで「田圃の太夫」と呼ばれた女形ですが、本人も某銀行頭取の妾と悶着を起こしています。
 この相手の女が有名な花井梅で、他にもいろいろあって、川口松太郎の『明治一代女』の主人公となるなど、多くの歌舞伎、新派、歌謡曲で採り上げられて大きな話題になった女性です。


 忍び駒様ありがとうございました。
by wheatbaku | 2012-11-22 08:23 | 大奥ゆかりの寺

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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