永代橋の西詰南側に、「船員教育発祥之地」の碑があります。
これは、東京商船大学の発祥の地の記念碑で、東京商船大学100周年記念で建てられたものです。
東京商船大学は東京水産大学と統合し、平成15年10月1日から東京海洋大学になっています。
記念碑には、次のように刻まれています。
内務卿大久保利通は、明治政府の自主的な海運政策を進めるにあたり、船員教育の急務を提唱し、三菱会社長岩崎弥太郎に命じて、明治8年11月、この地に商船学校を開設させた。
当初の教育はそのころ隅田川口であり、海上交通の要衝でもあった永代橋下流水域に成妙丸を繋留して校舎とし全員を船内に起居させて行われたが、これが近代的船員教育の嚆矢となった。爾来100年、ここに端を発した商戦教育の成果は、わが国近代化の礎となった海運の発展に大きく貢献してきたが、その歴史的使命は幾変遷をへた今日、江東区越中島にある現東京商船大学〔その後、国立大学法人東京海洋大学に統合〕に継承されている。
昭和50年(1975)11月、東京商船大学100周年記念事業委員会。.
明治維新後、わが国の海運界は国際的にみて立ち後れが目立ち、当時、蒸気船はほとんどが外国人によって運航されていました。
明治7年に行われた台湾出兵の教訓として、民族資本の海運会社の育成が急務とされました。
そのためには、船員の養成が不可欠となるのは当然です。
そこで、船員の教育機関が設立されることとなり、当時の三菱会社に商船学校の設立を命じ、明治8年11月に永代橋近くの霊岸島に三菱商船学校が設立されました。
初代校長は中村六三郎と言いました。
学校は、霊岸島(現在の中央区新川)に繋がれた三菱の成妙丸(せいみょうまる)を帆船に改造したものでした。
これは、校舎兼練習船であり、生徒全員を船内に起居させて、近代的船員教育を実施したそうです。
遠洋航海実習は他の三菱の社船で欧州まで赴いたとも伝わっています。
設立の7年後の明治15年4月に、三菱商船学校は官立に移管されて東京商船学校となりました。
さらに、大正14年には東京高等商船学校と改称されました。戦後の変遷は次のようです。
昭和20年、東京、神戸、清水の高等商船学校3校を統合して高等商船学校となり、昭和24年静岡県清水市(現静岡市)に国立の商船大学として発足し、昭和32年本部を東京に移し東京商船大学と改称しました。
そして、平成15年10月、東京水産大学と統合し、東京海洋大学となり、現在は海洋工学部に受け継がれています。
左上写真は、記念碑の前の永代通りから見た永代橋です。
赤印が「船員教育発祥之地」の碑です。

