現在は、日本テレビの「日本テレビタワー」になっています。
赤穂浪士一行は、日本テレビタワーの北側を通り泉岳寺に向かいました。
日本テレビタワーの北玄関に「仙台藩上屋敷」の説明板があります。
江戸時代、藩祖伊達政宗の時代には、外桜田や愛宕下などに仙台藩の江戸屋敷を構えていました。その後、寛永18年(1641)には、浜(芝口)屋敷(港区東新橋)に屋敷替えが行われ、延宝4(1676)年以降は幕末まで仙台藩の江戸の拠点として機能していました。
浜屋敷の表門では、元禄15年(1702)12月15日、本所吉良邸への討ち入りから主君浅野匠頭長矩の墓所高輪泉岳寺へ向かう赤穂浪士たちを仙台藩士が呼び止め粥を振舞ったといわれています。
この時にもてなされた粥は、レトルト食品のように一瞬に作られたそうですが、このときの米は糒(ほしいい、粳米を蒸して乾燥させたもの)で、軍糧として作られていたもので、仙台糒として特に製造所を定めていた藩の特産品であったようです。
粥でもてえなしをしたというのは、仙台市の説明です。
しかし、中央義士会の説明では、赤穂浪士一行は、仙台藩士に尋問を受けたと書いてありました。
大石内蔵助は、討ち入り成功後、幕府に自首することにしていました。
そして、愛宕下のあった大目付仙石伯耆守の屋敷に自首したのが吉田忠左衛門と富森助右衛門です。
その吉田忠左衛門と富森助右衛門は、汐留橋から仙台藩上屋敷の間あたりで、赤穂浪士一行と別れて自首に赴いた言われています。
【江戸検お題「忠臣蔵」について】
さて、今年の江戸文化歴史検定の結果発表がありましたね。
一級の合格者があまりにも少ないので驚きました。
合格者が6名で、合格率が0.7パーセントというはすごいです。
問題が相当難しかったのでしょう。
そうした難関を突破し合格された皆さん、本当におめでとうございます。
一方、合格点に届かなかった皆さん、本当に残念ですね。捲土重来を期して頑張ってください。
受験結果と同時に、「今年のお題」が発表されました。
江戸検今年のお題は、「これが本当の『忠臣蔵』~赤穂事件が“物語”になるまで~」ですね。
これがテーマというのも驚きました。
今年、毎日文化センターで「忠臣蔵ゆかりの地を行く」という講座を開いていて、現在も進行中です。
その準備をするために、「忠臣蔵」関連の本を読んでいますが、なかなか奥が深いというのが実感でした。
そう思っている最中ですので、「今年のお題」について、感じたことをいくらか書きます。
1、「忠臣蔵」となっていることに注意が必要
俗に「忠臣蔵」とは、浅野内匠頭が松の廊下で刃傷事件を起こし切腹し浅野家は改易となり、翌年12月14日に四十七士が討ち入りし、元禄16年2月4日に切腹した「赤穂事件」と同義語と一般的には考えられています。
しかし、江戸検では、「赤穂事件」と「忠臣蔵」とは別の物であるととらえる必要があると思います。
前述した政治上の事件が「赤穂事件」です。
そして、「忠臣蔵」とは、「赤穂事件」をもとに描かれた浄瑠璃・歌舞伎・小説・浮世絵・落語・映画・TVドラマを指していると考えておいたほうがよいと思います。
つまり、「お題」の名前からすれば、文化面が重視されているともいえると感じます。
ですから、受験勉強は、政治面だけでなく、文化面の分野も勉強する必要があるように思います。
2、「赤穂事件」を知ること
文化面まで受験準備が必要とは言っても、赤穂事件をよく知らないことには始まりませんので、勉強の一歩は、赤穂事件について勉強するというのがオーソドックスなのではないでしょうか。
赤穂事件についての基礎的な知識をしっかりマスターし、それから文化面にまで勉強範囲を広げていくというのがよいのではないかと私は考えています。
3、細かい知識が必要では!
赤穂事件は、元禄14年3月14日から元禄16年2月4日までの約3年の出来事です。
そのため、短期間の出来事が対象となります。そうなりますと、赤穂事件に関係する問題は細かい部分まで対象にせざるをえないと思います。
すると、赤穂事件関係については細かいところまでの知識を吸収する必要があるんではないでしょうか。
その傾向は、江戸文化歴史検定協会のHPに載っている例題をみてもわかります。
以上、直感的に感じたことを書きましたが、鶴ヶ島の小人さんからも、参考図書のご紹介依頼を受けていますので、おいおい、参考図書を紹介してきたいと思います。
赤印が、日本テレビタワーの北玄関です。玄関わきに説明板が設置されています。 青印は旧新橋停車場です。

