人形町亀井堂さんは、昭和4年に創業されたお店ですが、幕末の北町奉行と南町奉行を務めた佐々木信濃守顯發(あきのぶ)という人の曾孫の佐々木顯發(けんぱつ)氏が創業したお店です。佐々木信濃守という方は、今は知る人はほとんどいませんが、当時は名奉行といわれ、落語の「佐々木政談」として取り上げられるほどでした。
今回、人形町亀井堂さんで、佐々木顯發に対して朝廷が信濃守に任じることを通知した命令書(これを宣旨といいますが)を見させていただきました。
今日はそのお話を紹介します。
佐々木信濃守は、老中阿部正弘の抜擢をうけ、勘定奉行等を歴任した川路聖謨からも信頼を受け、嘉永4年(1851)に奈良奉行になったのを皮切りに、大坂東町奉行、小普請奉行、勘定奉行と昇進しました。
その後、井伊直弼が大老であった時には、改革派であったため、一時期、差控となったものの、 文久3年(1863)4月に北町奉行となり、すぐに西丸留守居に転任した後、8月には南町奉行となり、 元治元年(1864)、外国奉行となった後、致仕しました。このように要職を歴任し活躍をした佐々木信濃守の名奉行ぶりを落語「佐々木政談」として語るようになったのが3代目桂三木助で、その後、6代目三遊亭円生もよく演じていました。
三遊亭円生は江戸の北町奉行としていますが、桂三木助は、大坂東町奉行として創案したと佐々木循一様が教えてくださいました。
佐々木信濃守は、嘉永4年には、従五位下信濃守に叙任されました。この叙任の時の、宣旨(せんじ)と位記(いき)を、佐々木信濃守の6代末裔にあたる佐々木循一様のご配慮で拝見させていただきました。
右写真の右端が、店内で佐々木信濃守についてご説明される佐々木循一様です。
宣旨とは天皇の命令を伝える文書を言います。天皇の命令のうち、正式のものを「詔勅」、略式のものが「宣旨」です。
また、位記は位階を授けるときに発給する公文書です。
佐々木様のご説明によると、宣旨にはそもそも正と副があるそうです。お店に飾られているのは、副だそうです。
右下から二段目の写真がそれですが、こちらは、店内に飾られているのでいつも見ることができます。
今回、わざわざご持参いただき見せていただのが正の宣旨と位記です。
右上写真の奥の額に入っているのが「正の宣旨」で、手前の巻紙風なものが「位記」です。
正の宣旨は薄墨紙に書かれるのが正式なものだそうです。薄墨紙というのは、元々は再生紙だったようですが、後に、薄墨紙専用に特別に漉いて紙としたそうです。
右写真の紙をご覧いただければ、紙の色が薄墨様の色をしているのがわかると思います。
この叙任の宣旨が正副、そして位記とともに現存しているのは大変貴重だそうですが、その通りだと思います。 一緒に拝見した一級2期会の人たちも大変喜んでいました。
良くみると、宣旨の正と副では、文章の書き方が違っています。
また、この副の宣旨の中に正二位行權大納言藤原朝臣実萬と書かれています。この「行」はどういう意味かと参加したOさんから質問があり調べましたので、その結果も書いておきます。
これは、位署(いしょ)と言って、官位姓名を一行に続け書きしたものです。
この場合、官位が相当する場合には官⇒位の順に書きますが、官位が相当しない場合には位⇒官の順に書きます。その際、位が高く官の低い場合は「行」(ぎょう)を入れて書くのだそうです。
ちなみに、逆の場合は「守」の字を位と官の間に入れたそうです。
なお、藤原朝臣実萬とは三条実萬と思われます。三条実萬は、明治維新に重要な役割を果たした三条実美のお父さんです。
人形町亀井堂を創業されたのは、佐々木信濃守の曾孫となる佐々木顯發です。
佐々木信濃守と同名ですが、信濃守は「あきのぶ」と読み、創業者は「けんぱつ」と読むそうです。
創業者顯發は、明治36年に生まれました。生まれたとき佐々木家は、現在、アサヒビールの本社となっている場所、当時は、秋田藩佐竹家の下屋敷だった場所で生まれました。
しかし、佐竹家がそこを札幌麦酒に売却したため、本所に移り、その後、下谷車坂に転居しました。
大正4年に、上野亀井堂に奉公し、そこの主人倉木忠吉に可愛がられ、神戸亀井堂からのれん分けをした形をとり亀井堂を創業しました。
当初は、浅草橋にありましたが、戦災にあい戦後は浅草橋に戻ることが難しくなり、その時に、水天宮交差点にある人形焼きの老舗「重盛永信堂」の御主人の援助により、人形町の甘酒横丁で事業を再開することができたそうです。
こうした事情は、佐々木様から頂戴した「東京下町噺」に詳しく書かれています。
これは、佐々木様の叔父にあたられる佐々木雅發早稲田大学名誉教授が書かれました。
佐々木循一様、今回は大変貴重なもの見させていただきありがとうございました。
江戸検一級のメンバーも大変喜んでおりました。皆を代表して改めて御礼申し上げます。
誠にありがとうございました。

