毎年恒例にしている川越の喜多院に御札授与にいってきました。例年、大勢の人が参拝しているのですが、今年はとりわけ多かったように思います。
喜多院そのものも混雑していたのですが、周辺の道路の込み具合がすごかったです。
今年は、喜多院とともに仙波東照宮もお参りしてきました。
徳川家康が、久能山から日光に改葬された時に、4日間川越喜多院の本地堂に留まり、天海大僧正が丁重な法要を執り行いました。仙波東照宮はこの由縁から寛永10年(1633)に創建されたものです
寛永10年に天海大僧正により創建さた東照宮は寛永15年8月の大火により焼失してしまったため、寛永17年に再建されたものです。
随身門は朱塗の八脚門・切妻造りで、銅板で噴かれています。
以前は、この随身門には後水尾天皇の御宸筆の「東照大権現」と書かれた額が架けられていたそうです。
この随身門をはじめ、 本殿、 瑞垣、 唐門、 拝殿及び幣殿、 石鳥居は国の重要文化財となっています。
石鳥居は、寛永15年9月に堀田正盛が奉納したものです。
堀田正盛は造営奉行として再建の指揮をとっていました。堀田正盛は、春日局の義理の孫ですが、養子となっていましたし、家光の男色の相手であったとも言われていて、家光寵愛の家臣です。
この堀田正盛が造営奉行ですので、家光の再建にかける意気込みがわかります。
もっとも寛永15年8月の大火で燃える直前の同年3月まで川越藩主であったという事情もあるかもしれません。
向かって左の柱に「東照大権現御宝前、寛永十五年九月十七日堀田加賀守従四位下藤原正盛」と刻まれています。
拝殿は、桁行三間、梁間二間で単層入母屋造りで銅板で噴かれています。拝殿の中には、後水尾天皇の御宸筆の「東照大権現」の額があるそうです。
また、拝殿の前の石灯籠は柳沢吉保が奉納した者です。
東照宮本殿は、非公開ですので中にはいれません。
本殿の中には、天海が作った家康の木像が安置されているそうです。本殿前の石灯籠は、松平信綱、輝綱、信輝の三代の川越藩主が奉納したものです。
松平信綱はいわゆる知恵伊豆と呼ばれた幕府の重鎮で寛永16年(1639年)に堀田正盛の次に川越藩主となりました。輝綱は信綱の子供で2代藩主、信輝は信綱の孫で3代藩主です。
信輝の代に古河藩に転封しています。

