東禅寺は、品川駅から、第一京浜を田町方向に歩いて、丘陵側に少し入った場所にあります。
東禅寺は臨済宗妙心寺派の別格本山です。
妙心寺派の江戸四箇寺の1つでした。
江戸四家事箇寺とは、東禅寺の他、湯島の麟祥院、浅草の海禅寺、牛込の松源寺を言いました。
東禅寺は、慶長15年(1610)嶺南和尚が日向国飫肥藩(現在は日南市飫肥)2代藩主伊東祐慶(すけのり)の帰依を受け、溜池付近の邸宅をもとにして開きました。当初は嶺南庵と呼ばれ、アメリカ大使館からホテルオークラの間にある霊南坂の由縁となりました。
開基の伊東祐慶の法名が東禅寺殿前匠征泰雲玄興大居士ですので、東禅寺という寺号は伊藤祐慶の法名からとられたものと思われます。
寛永13年(1636)、現在地に移転。眼前に江戸湾が広がることから海上禅林とも呼ばれ、その額も本堂に掲げられています。本堂と庫裏は昭和6年に建てられたものです。
以前のものが震災や火災にあったためでなく、古くなったため建て替えられたとのことでした。
江戸時代の境内は、多くの塔頭が建ち並んでいたそうですが、現在は、緑の多い静かな雰囲気の境内となっています。
その境内に大きくそびえる三重塔が建っています。
この塔は、建築後25年とのことですので、昭和の終わりに建てられたようです。
江戸時代には東禅寺は、開基の飫肥藩伊東家をはじめ多くの大名の菩提寺でした。そのため、少し離れた墓地には、今も諸大名の見事な墓群がありますが、一般の人には公開されていません。
その中で、墓所の外から見えるお墓がいくつかあります。
左写真は、飫肥藩伊藤家の墓碑群です。
右下は、仙台藩伊達家の合祀墓です。
東禅寺を菩提寺としていた大名家は次のようです。
陸奥仙台藩伊達家 伊予宇和島藩伊達家 伊予吉田藩伊達家
備前岡山藩池田家 備前赤穂藩池田家 備前鴨方藩池田家
備前生坂藩池田家 日向飫肥藩伊東家 信濃高島藩諏訪家
美濃加納藩松平家 大和柳本藩織田家 豊後臼杵藩稲葉家
豊後佐伯藩毛利家
また、蘭学者大槻玄沢のお墓が港区の史跡となっているのですがこれもみることができません。大槻玄沢は、仙台藩の藩医ですが、江戸に出て杉田玄白・前野良沢に師事しました。名は茂質(しげかた)、号は磐水といいます。
玄沢は通称です。玄沢の「玄」は杉田玄白から、「沢」は前野良沢から頂いた名前です。
蘭学の入門書『蘭学階梯』を書き、解体新書の新訳版の「重訂解体新書」を書きました。
また、蘭学塾「芝蘭堂(しらんじゅく)」を開き、毎年西暦の正月に蘭学者が集う阿蘭陀正月(新元会)を催し、評判となりました。
赤印が東禅寺です。

