一之橋 ⇒ 大法寺 ⇒ 麻布一本松 ⇒ 賢崇寺 ⇒ 善福寺
という道順でめぐりました。
そこで、それらについてもご案内したいと思います。
今日は、大法寺についてご案内します。
大法寺(だいほうじ)です。日蓮宗のお寺です。
大法寺は 慶長2年11月(1597)、慈眼院日利上人によって創建されました。
また、赤門寺(あかもんでら)とも呼ばれていたそうです。
右写真でお分かりになると思いますがお寺の塀が赤く塗られていますが、それは、昔、赤門寺と呼ばれたことに由来するものだそうです。
大法寺は、港七福神のうち「大黒天」がお祀りされていて、一本松の「大黒様」として親しまれています。
大法寺の大黒天は「三神具足(さんじんぐそく)大黒尊天」と呼ばれています。
お姿が大黒天の小槌を持ち、弁財天の髪をして、背には毘沙門天の鎧をつけているところから、大黒天の福寿と弁財天の円満と毘沙門天の除災得幸を表しているといわれています。
「三面大黒天というのがありますが、これはお顔で大黒天・弁財天・毘沙門天の三神を表していますが、大黒天・弁財天・毘沙門天の三神を身体で表しているのは全国でここだけでしょう」というのがご住職のお話でした。
この大黒様は、もともと麻布六本木の旧家伊勢屋長左衛門の秘仏でした。
ある時、この大黒様が、長左衛門の夢枕にたち、「長く伊勢屋にいて福寿を授けてきたが、これからは大勢の人に福寿を授けたい」と告げました。目が覚めると、大黒様はいらっしゃいませんでした。
長左衛門が、大黒様を探すと、大黒様は、法華経三万部読誦が行われていた大法寺にいらっしゃたという言い伝えがあります。
この大黒様は、正月元旦から七日までと大黒様の縁日である甲子(きのえね)の日にだけ御開帳されるそうで、それ以外は開帳されていませんので、残念ながら拝観できませんでした。
また、大法寺の近くあたりに、中央義士会の案内によると、元禄時代には、吉良上野介の下屋敷があった場所とのことです。
近くに麻布一本松があることから麻布一本松屋敷と呼ばれていました。
面積は1756坪あり、元禄16年2月の吉良家改易まで使用されていました。
赤印が大法寺です。