賢崇寺(けんそうじ)は麻布十番商店街の南西方向にあり、、麻布十番駅から、約5分の距離にあります。
入り口は、なだらかですが長い坂道となっています。
賢崇寺は、曹洞宗の寺です。寛永12年(1635年)、鍋島藩初代藩主鍋島勝茂が疱瘡で亡くなった息子の鍋島忠直の菩提を弔うためい建立されました。
寺号は忠直の戒名 「興国院殿敬英賢崇大居士」 から興国山賢崇寺とされました。
それ以降鍋島家の菩提寺となりました。
本堂の裏側に、鍋島家の墓所があります。
そこには、当初葬られた鍋島忠直、その父で初代佐賀藩主鍋島勝茂、勝茂が亡くなった際に殉死した家来30名などのお墓があるとのことですが、現在は立ち入り禁止となっていて近寄ることができません。
左下写真は、墓所外がら撮影したものです。
幕末の名君と呼ばれた10代藩主鍋島直正(いわゆうる閑叟の号で有名っです)の墓も賢崇寺にありました。本堂前に広い墓所があったそうですが、明治にできた佐賀の春日山の神道墓所に平成11年に移されました。
墓前に奉納されていた明治の元勲大隈重信、江藤新平、大木喬任等から寄進され灯籠が境内のかたすみに残されていて、これから整備されるのを待っています。
東京大空襲では境内のほとんどを消失し、本堂は昭和47年に再建されたものです。
賢崇寺には、二・二六事件で処刑された「二十二士」も葬られています。
本堂裏側の墓所の奥まったところに、「二十二士之墓」と刻まれた墓石があります。これには死刑となった香田大尉、安藤大尉はじめ19名に、自決した野中大尉・河野大尉の2名、相沢事件で死刑となった相沢中佐が含まれています。
お墓の裏側には、埋葬されている22名の死亡日と名前とが刻まれています。
2月29日 野中四郎、3月6日 河野寿、
7月3日 相澤三郎(中佐;陸軍省軍務局長永田鉄山少将斬殺)
7月12日 香田清貞(大尉)、安藤輝三(大尉)、竹島継夫(中尉)、
對馬勝雄(中尉)、中橋基明(中尉)、栗原安秀(中尉)、丹生誠忠(少尉)、
坂井直(中尉)、田中勝 (中尉)、中島莞爾(少尉)、安田優(少尉)、
高橋太郎(少尉)、林八郎(少尉) 、渋川善助、水上源一
8月19日 村中孝次(大尉)、磯部浅一(一等主計)、北輝次郎(北一輝)、西田税
当初は遺体の引渡しすらままなりませんでしたが、栗原安秀中尉の父勇が自ら賢崇寺の第二十九世住職藤田俊訓師に入門し、藤田住職とともに墓建立に奔走したそうです。
現在の墓碑は、昭和27年7月12日第十七回忌法要時に建立されました。
それまでは、二十二士の遺骨が本堂に安置されていてお墓はなかったそうです。
それが、昭和27年に建立されたのでした。
毎年2月26日、7月12日に慰霊祭が行なわれるそうです。ちなみに7月12日は、15人が死刑に処せられた碑です。
二十二士のお墓にいく途中には、作家の戸川幸夫(下左写真)、詩人の蒲原有明(下右の写真)のお墓もあります。


赤印が、賢崇寺です。

