人気ブログランキング |
久坂玄瑞(八重の桜 第11回「守護職を討て!」)
 
 明日の「八重の桜」では、池田屋事件で、多くの尊王攘夷派浪士を殺害され激昂した長州藩が、京都に攻め上ります。
 その中には、久坂玄瑞(くさか げんずい)もいます。
 久坂玄瑞は、松下村塾の門下生で、高杉晋作とともに「松門の双璧」と呼ばれていましたが、あまりクローズアップされていませんので、今日は、その久坂玄瑞について書いてみます。

 久坂玄瑞は、天保11年(1840)萩藩医・久坂良迪(りょうてき)の三男秀三郎として生まれました。
 幼少の頃から高杉晋作と一緒に私塾に行き、後に藩校明倫館に入学した秀才と言われていました。
 安政元年(1854)に兄玄機と父も亡くし、15歳で、藩医久坂家の家督を継ぎ(二男は早世している)、医者として頭を剃り、名を玄瑞と改めた。
玄瑞は、身長は六尺(約180cm)ほどの長身で、声が大きく美声であったといいいます。

久坂玄瑞(八重の桜 第11回「守護職を討て!」)_c0187004_14104686.jpg 安政3年(1856)、九州に遊学し、熊本に宮部鼎蔵を訪ねています。この際に、吉田松陰に弟子入りするよう宮邉鼎蔵から勧められたといいます。
そして、手紙で入門を願い出て、数度のやりとりの後、玄瑞は、翌安政4年(1857)、正式に松門に弟子入りしました。

 松下村塾では高杉晋作と共に「松門の双璧」、高杉新作、吉田稔麿、入江九一と共に「四天王」といわれ、安政4年(1857)12月、松陰の妹文(ふみ)と結婚しました。。

 安政5年(1858)、京都・江戸に遊学しましたが、安政6年(1859)に安政の大獄によって松陰が処刑されてしまいました。
 久坂玄瑞は、松陰の死後、文久元年(1861年)12月、松下村塾賞を中心とした長州志士の結束を深め、松陰亡き後、玄瑞が塾の指導的立場となりました。

 長州藩の藩論が、長井雅楽の「航海遠略策」によって公武合体論に傾くと、長井を攻撃し謹慎させられます。
 その後、藩論が尊王攘夷に変更され、玄瑞も謹慎を解かれ、上京し文久2年10月、江戸に下り、高杉とともに一緒に行動し、12月、彼らは品川御殿山に建設中の英国公使館焼き討ちを実行しました。

 その後、玄瑞は、京都に戻り、文久3年(1863)1月27日に京都翠紅館にて各藩士と会合したようです。
 翠紅館には、昨年夏に訪ねました(右上写真)が、久坂玄瑞も会合していたんですね。
 それから、玄瑞は長州藩京都藩邸御用掛として活躍しました。

 攘夷期限が文久3年5月10日と決まると玄瑞は帰藩し、中山忠光を首領とし光明寺党を結成しました。この光明寺党は後の奇兵隊と姿を変えることになります。
久坂玄瑞(八重の桜 第11回「守護職を討て!」)_c0187004_1411692.jpg
 文久3年(1863)、八月十八日の政変によって長州藩は京都を追われてしまいました。
 しかしその後も、玄瑞はしばらくの間京都詰の政務座役として在京し、失地回復を図っていました。
 その間、三条実美・真木和泉・来島又兵衛らの唱える進発論に対して桂小五郎・高杉晋作らとともに反対していました。
 しかし、その後、玄瑞は進発論に転じ、池田屋事件をきっかけに長州藩は京都出兵を決めました。
 久坂玄瑞も来島又兵衛や真木和泉らと諸隊を率いて上京しました。
 そして、禁門の変が起こることになります。
 
7 月17日、男山八幡宮で会議では、玄瑞は、即時進撃はやめて後続の部隊を待つ慎重論を主張しますが、木島又兵衛や真木和泉の進撃論と激しく対立し、結局、玄瑞も同意し進撃しました。
 結果は、長州藩の敗北となります。
 玄瑞たちは堺町御門を攻撃し、鷹司邸に入り、鷹司輔煕に参内のお供をし嘆願をさせて欲しいと嘆願しましたが、輔煕に拒否されます。鷹司邸は火を放たれ、玄瑞は退却を命じ、入江九一に後を託しました。た。
 流れ弾を膝に受けた玄瑞は寺島忠三郎と共に鷹司邸内で自刃して果てました。享年25歳でした。
 右2段目の写真は、霊山護国神社にある久坂玄瑞と寺島中三郎のお墓です。

 大河ドラマ「八重の桜」では、「禁門の変」は第12回で取り上げられるようです。
by wheatbaku | 2013-03-16 14:03 | 大河ドラマ

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
by 夢見る獏(バク)
プロフィールを見る
更新通知を受け取る
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
以前の記事
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
ブログパーツ
ブログジャンル
歴史
日々の出来事