六本木ヒルズのすぐ近くに桜田神社があります。
江戸で桜田をいえば桜田門を思い浮かべますし、桜田門のあたりが桜田と呼ばれていたと考えます。
その桜田を神社名とした「桜田神社」がなぜ六本木にあるのでしようか。
桜田神社は、治承四年(1180)に源頼朝の命により、渋谷重国が霞山(現在の霞ヶ関桜田門外)に祀ったことに起こるといいます。
文治5年(1189)には、奥州征伐の奉賽として、源頼朝から30貫の田畑を寄進されました。
この寄進された田の境界に、一般農家の田と区別するため、御神田の畔に桜を植えたことから、その田地は「桜田」と呼ばれるようになり、村の名も桜田村と称したと伝えられています。
文明年間(1469~87)には太田道潅が社殿を再興し、太刀甲冑を奉納しました。
寛永元年(1624)、江戸城の整備に伴い、氏子とともに霞ヶ関から現在の社地に遷りました。
そのため、桜田神社が六本木にあることになります。
また、桜田神社の前の通りいわゆるテレ朝通り両側の江戸時代の町名は、麻布桜田町といい、桜田村から移ってきたことを占めす町名でした。
また、桜田と名前のついて町名は、芝にはもありました。
芝には、桜田本郷町、桜田伏見町、桜田和泉町、桜田鍛冶町、桜田久保町、桜田備前町、 桜田善右衛門町、桜田太左衛門町などの桜田を冠した町名がありました。
これらも、桜田村から移転した町名だそうです。
また、桜田神社で、港七福神の寿老人がお祀りされています。