渋沢栄一は、 天保11年(1840年)、現在の深谷市血洗島の農家に生まれました。
成長して、攘夷運動に参加しますが、後に一橋家に仕えます。そして、将軍慶喜の名代徳川昭武に随行し渡欧し、大きな影響をうけます。
帰国後、明治新政府に仕えますが4年で辞職し、その後、実業界で第一国立銀行の設立など多くの企業の設立経営に関与し、「日本資本主義の父」と呼ばれました。
渋沢栄一記念館は平成7年の11月11日(栄一の祥月命日)に 開館しました。
地元の公民館と一緒になっていますが、渋沢栄一関係の史料が展示されています。
解説してくださるガイドもいて、大変勉強になりました。
記念館を見学した後、「旧渋沢邸」に行きました。
渋沢栄一の生家は、「中の家(なかんち)」と呼ばれていました。 その渋沢栄一が生まれた家は、明治25年に火事で焼失してしまいました。
そして、明治28年に、家をでて東京で活躍する栄一のかわりに生家を守っていた妹夫婦により再建されました。
現在では、深谷市がその家を管理していて公開しています。
主屋は典型的な養蚕農家の造りです。
写真の左手前に渋沢栄一の銅像があります。
渋沢栄一は多忙の合間も時間を作り、年に数回はこの家に帰郷したそうです。家の奥座敷は、栄一が寝泊まりした部屋だったそうです。帰郷する栄一のため、妹の夫市郎が念入りに作らせたと伝わっているようです。
東京飛鳥山の屋敷は、空襲によって焼失してしまったため、栄一が過ごした数少ない場所となっているとのことでした。
渋沢栄一の雅号は「青淵(せいえん)」と言います。この雅号は、生家の近くに「上の淵」と呼ばれる青々とした淵があったことによるそうです。
屋敷の裏に回ると、その雅号の由来の元になった池が残されています。
池のそばに、清浦圭吾の筆になる「青淵由来の碑」が立っています。

