今日は「祥雲寺」のご案内です。祥雲寺は臨済宗のお寺です。
江戸時代を通じて臨済宗大徳寺派の触頭で、かつ「独札」(登城し将軍に単独謁見でき、乗輿も許される)の格式を誇っていたそうです。祥雲寺は、福岡藩2代藩主の黒田忠之が、父の黒田長政の冥福を祈るために創建しました。
黒田長政は大徳寺の龍岳宗劉和尚を崇敬していたため、龍岳を招いて開山として、赤坂溜池の屋敷に建立し、 長政の法名・興雲をとって龍谷山興雲寺といったのがはじまりです。
寛永6年(1629)、市兵衛町いまの麻布台に移り、瑞泉山祥雲寺といいましたが、寛永8年(1631)火災に遭い現在地に移りました。
こうした創建の経緯から、祥雲寺は黒田家の菩提寺となっていて、黒田長政のお墓は渋谷区の史跡に指定されています。
祥雲寺には、黒田家の他にも久留米藩有馬家など、多くの大名家の墓地がありますが、もっとも有名なのが黒田長政のお墓です。黒田長政は、安土桃山から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、秀吉の参謀であった黒田官兵衛(来年の 大河ドラマの主人公)の子供で秀吉子飼いの武将でした。
しかし、石田三成とは仲が悪いため、関ヶ原の戦いでは、東軍に属して戦い戦功をあげました。
そ のため、戦後、福岡藩52万3千石を与えられて福岡藩の初代藩主となりました。
元和9年(1623)、京都知恩寺で、56歳で死去しました。
長政のお墓は、黒田家の墓所のなかにあり、屋根で覆われています。
墓は大変大きく5メートルもあると書いてあるものもあります。
墓碑名には、金粉が塗られています。
さて、長政の前にあるお墓は、長政のお墓に向かって右手が、継室の栄姫(大涼院)のお墓です。右写真が栄姫のお墓です。
大涼院は保科正直の娘ですが徳川家康養女となって、黒田長政の正室となりました。
平成26年の大河ドラマ「軍師官兵衛」では、栄姫は吉本実憂が演じています。
長政は、正室の糸姫を離縁して、德川家康の養女である栄姫と縁組をします。
糸姫との間には子供が一人でしたが、栄姫との間には2代目藩主となる忠之はじめ三男二女の子供に恵まれました。
そして、左が長女の亀子姫(清光院)のお墓です。(右写真)この亀子姫は、赤穂藩浅野家とも関係がないとはいえないので、ちょっとご紹介しておきます。
赤穂藩浅野家は、もともとは、笠間藩主でした。
正保2年(1645年)3月15日、池田輝政の六男で播磨赤穂藩の第2代藩主が突如として発狂して、正室をはじめ侍女数人を斬り殺すという騒動を起こしました。
そのため、赤穂藩池田家は3月20日に改易されました。
実は、この亀子姫が、池田輝興により殺害された正室です。
そこで、浅野家が赤穂藩に転封されることになりました。
それは、浅野内匠頭の祖父浅野長直の時でした。
もし、池田輝興の事件がなければ、赤穂藩浅野家はなかったかもしれません。
赤字が祥雲寺です。

