刃傷松之廊下についての二つの興味深い俗説つまり、一つは「浅野内匠頭は吉良上野介を前から斬りつけた」というもの、もう一つは「梶川与惣兵衛は浅野内匠頭を後ろから組み留めた」という俗説があるといいます。

元禄16年に書かれた元加賀藩士杉本義隣(よしちか)「赤穂鐘秀記(しょうしゅうき)」によれば、浅野内匠頭は松之廊下で吉良上野介に言葉をかけて小さ刀を抜いて、吉良上野介が驚いて逃げようとしたところ二度斬りつけたが、どちらも烏帽子にあたり深手にはならず、吉良上野介は動転して走り倒れた、そこに偶然行き掛った梶川与惣兵衛は浅野内匠頭を後ろから組み止めた書かれていると言います。
そして、吉良上野介は梶川与惣兵衛と立ち話をしていたのではなく、一人でいたという前提で書かれているといいます。
一人でいるのであれば、後ろから斬りつけるより前から斬りつける方が自然です。そして、斬られた吉良上野介が走って倒れたのたのを見て、梶川与惣兵衛が浅野内匠頭を組み止めたの門、それなりにリアルティがあります。
「易水連袂録(えきすいれんぺいろく)」には、「内匠殿後ヨリダキスクメシ」と記しているそうです。
梶川与惣兵衛は浅野内匠頭を前からではなく「後から抱きしめた」と書いているわけです。
吉良上野介と浅野内匠頭が口論して、吉良上野介が逃げて、それを浅野内匠頭が追っていく。それを梶川与惣兵衛が留める」という状況を想定するならば、梶川与惣兵衛が前からではなく後ろから取り押さえるのが自然となります。
浅野内匠頭と吉良上野介が口論していて、梶川与惣兵衛がその現場に居合わせたと仮定するならば「浅野内匠頭は吉良上野介を前から斬りつけ」、「梶川与惣兵衛は浅野内匠頭を後ろから組み留めた」という俗説は説得力を有していると書いています。
しかし、「梶川与惣兵衛日記」によれば、梶川与惣兵衛が吉良上野介と話をしている際に、突然、浅野内匠頭が吉良上野介の後ろから斬りつけたのですから、上記二つの俗説はまさに俗説となるようです。

