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多門伝八郎覚書①(江戸検お題「本当の忠臣蔵」17)
 今日は、江戸検今年のお題「本当の忠臣蔵」の話題です。
 刃傷松之廊下について書いた記録は、「梶川与惣兵衛日記(梶川氏日記)」と「多門(おかど)伝八郎覚書」があります。
 刃傷松之廊下が起きた時の情況を詳しくかいたのが「梶川与惣兵衛日記」です。
松之廊下での刃傷の後の様子は、「多門伝八郎覚書」に詳しく書かれています。
 そこで、今日は「多門伝八郎覚書」を取り上げます。

 「多門伝八郎覚書」を書いた多門伝八郎は、延宝5年19歳で御書院番になり、元禄6年に小十人頭となり、元禄10年に目付となりました。
多門伝八郎覚書①(江戸検お題「本当の忠臣蔵」17)_c0187004_1520211.jpg そして、元禄14年に起きた赤穂事件に遭遇しました。
 多門伝八郎は硬骨漢のようで、浅野内匠頭の処置で、上役とことごとく衝突します。
 そのせいかどうかわかりませんが、事件後は、元禄16年から火の元改めを半年務めた後、お役御免となり、小普請組に入れられました。

 「多門伝八郎覚書」は、「日本思想体系27『近世武家思想』」や「赤穂義人纂書 赤穂義士資料大成 第一」に収録されています。
 私は、埼玉県立図書館で借りて読みました。
 今日は「日本思想体系27『近世武家思想』」に基づいて書いていきます。

 事件がおきた元禄14(1701)年3月14日、お目付当番は、多門伝八郎と大久保権左衛門でした。そこに、刃傷事件発生の報が目付部屋に届きます。
目付衆が現場に急行すると浅野内匠頭長矩が、梶川与惣兵衛に取り押さえられていました。
それでは、「多門伝八郎覚書」を読み下していきます。
 
 四つ半時(午前11時頃)、殿中が大騒ぎとなり、御目付部屋に次々と知らせが入って来ました。
「ただ今、松の廊下で喧嘩があり、刃傷となった。相手は分からないが、高家の吉良上野介がケガをされました。」と言ってきましたので、早速、目付の私たちが残らず松の廊下に駆けつけましたところ、上野介は同役の品川豊前守伊氏に抱えられて、「桜の間近」くの板縁で、前後をわきまえず高い声で「医者を頼む」と叫んでいましたが、その舌は震えているように聞こえました。

 松の廊下の角より「桜の間」の方へ逃げて来られということなので、畳一面に血がこぼれていました。また、その側には顔色が血走しった浅野内匠頭が無刀で、梶川与惣兵衛に組み留められ、神妙な体をして、「私は乱心していない。組み留めるのはもっともではございますが、最早、お放しくだされ。このように打ち損ねた上は、ご処分をお願いいたします。なかなかこの上は、無体な刃傷はしないので、手を放し、烏帽子を着せ、大紋の衣紋を直し、武家のご法通り、仰せ付けられたい」と申されたが、梶川与惣兵衛は手をゆるめませんでした。
 そのため、内匠頭はなおも「私は5万石の城主でござる。さりながら、お場所柄を憚らなかったことは重々申し訳なく思ってるが、式服を着ている者を無理に抱き留められては式服が乱れます。お上に対しましては、何の恨みもないので、お手向かいは致しません。打ち損じたことは残念にて、かようの結果になったからには、致し方はありません」とよくよくことを分けて申されましたが、梶川は畳に組み伏せ、ねじつけていましたのを、私たち四人が受け取りました。
 そして、烏帽子・大紋の乱れを直し、「蘇鉄の間」のうちで屏風で仕切り四人がかわるがわる付き添いましたので、内匠頭は非常に喜びました。
吉良上野介はやはり同じ「蘇鉄の間」の北の方の隅にいて、目付四人がかわるがわる付き添っていたところ、「内匠頭と間があまりにも近すぎる。また内匠頭がここにやってくるのではないか」と心配するので、「心配無用です。私たちがついています」と言い聞かせました。

 この後、浅野内匠頭と吉良上野介それぞれ、目付が尋問を行いますが、それについては次回書きます。


「日本思想体系27『近世武家思想』」に掲載されいる「多門伝八郎覚書」の原文は以下の通りです。

 元禄十四年三月十四日御目附当番は多門伝八郎・大久保権左衛門両人也(中略)
四ツ半時、殿中大騒動いたし御目付部屋え追々為知来て、「只今松之御廊下にて喧嘩有之、刃傷におよび候、御相手は不相知候得共、高家吉良上野介殿手疵被負候」由申来候間、早速同役衆不残松之御廊下江罷越候処、上野介は同役品川豊前守伊氏被抱、桜之間方近き御板縁にて、前後不弁高声にて御医師衆頼度と言舌ふるへ候て被申聞候

 松之御廊下角より桜之間之方へ逃被参候趣故、御畳一面血こほれ居候。又側(かたわら)には面色血ばしり、浅野内匠頭無刀にて梶川与三兵衛(頼照)に組留られ神妙体にて私義乱心ハ不仕候、御組留之義は御尤には御坐候へ共、最早御免し可被下候。ケ様打損し候上は御仕置奉願候。中々此上無体之刃傷不仕候間、手を御放し、烏帽子を御着せ、大紋の衣紋を御直し、武家之御法度通被 仰付度旨被申候得とも、与三兵衛不差免候故、

 内匠頭、「拙者義も五万石の城主にて御座候、乍去(さりながら)御場所柄不憚之段は重々恐入奉候共、官服を着候もの無体之御組留にては官服を乱し候、上え奉対何之御恨も無之候間、手向は不仕候、打損候義残念にて、ケ様ニ相成候上は致方無之と能々事を分け被申候へ共、与三兵衛畳え組伏せねぢ付ケ居候ニ付、(多門)伝八郎、権左衛門、十左衛門、平八郎四人にて請取、烏帽子・大紋之衣文を直し、蘇鉄之間之隅え御屏風にて仕切、四人替々に付候。殊之外内匠頭歓被申。上野介は矢張御屏風仕切、蘇鉄之間北之方隅え、御目付四人替々付居候処、「内匠頭と余程間合隔り申候哉、又候内匠頭是え可罷越候」と申聞候に付、「御気遣有之間敷、拙者共付居候」由申聞候
                    
             
                                                          以 上
by wheatbaku | 2013-05-09 15:03 | 忠臣蔵

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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