目付の尋問に対して、浅野内匠頭の答弁と吉良上野介の答弁が書かれていて、その報告を受けて出された裁定までの部分を書いてみます。
多門伝八郎たち目付は、老中から命じられて浅野内匠頭と吉良上野介の尋問を行いましたが、そのことが多門伝八郎覚書に書かれています。
浅野内匠頭は、「上様に対してはいささかの恨みもありません。私一人の遺恨で前後を忘れ刃傷に及んでしまいました。この上はどんなお咎めも受ける覚悟です。」と答えています。そして、「吉良上野介を打ち損じたのは大変残念です。」と答え、「吉良上野介の様子はどうでしょうか」と尋ねています。
多門伝八郎は、「浅い疵であるが、吉良上野介は老齢でもあり、特に顔の疵なので、助かるかどうか心配です」と答え、浅野内匠頭を安心させています。
また吉良上野介は「浅野内匠頭から恨みを受ける覚えはありません。まったく浅野内匠頭の乱心と思われます」と答えています。
この尋問の結果をもって、目付は大目付二人と相談のうえ若年寄に伝え老中に詳しく報告しました。それから目付の報告は側用人柳沢吉保に伝えられ、目付は後で指図があるから部屋で待機するよう指示されました。
しばらくして、若年寄加藤越中守と稲垣対馬守から伝えられた裁定結果は、次のようなものでした。
浅野内匠頭は、場所柄をもわきまえず、自分の宿意から、吉良上野介に対して刃傷におよんだが、それはまことに不届なことなので、田村右京太夫に御預けとして、切腹をもうしつける。
一方、吉良上野介は、場所をわきまえて、手向をせず神妙である。御医師吉田意安に服薬させ、外科の手当ては栗崎道有に申し付けるので、十分に保養すべし。
これについて、多門伝八郎は異議を唱えますが、そのお話は次回にします。
昨日と同様に「日本思想体系27『近世武家思想』」の原文を掲載しておきます。
土屋相模守殿、小笠原佐渡守殿・若年寄加藤越中守殿・井上大和守殿列座にて被仰渡候は、内匠頭存寄可相糺(ただす)旨、多門伝八郎・近藤平八郎両人え被仰付。上野介存念糺は、久留十左衛門・大久保権左衛門両人え、右之趣被仰渡。内匠頭上野介え打付候小刀(ちいさがたな)取寄せ、鞘え納め預り、檜之間医師溜にて、内匠頭え烏帽子・大紋為取、麻上下着せ、御徒目付6人左右に付居。
伝八郎申渡す儀は、「貴様今日之儀、存寄相糺段、拙者共両人え被仰付候に付、御定法通言葉相改候に付、左様可被心得」と申聞、「其方儀、御場所も不弁(わきまえず)、既に上野介え及刃傷候儀、如何被心得候哉」と、最初伝八郎申渡候処、内匠頭、一言申披(もうしひらき)無之、「上え奉対聊之御恨無之候得共、私之遺恨有之、一巳之以宿意前後忘却仕可打果存候に付、及刃傷候。此上如何様之御咎被仰付候共、御返答可申上候筋無之。乍去(さりながら)上野介を打損候儀、いかにも残念に奉存候。様子如何に御座候哉」と被申開候間、「浅疵には有之候共、老年之事、殊に面体之疵処、養生も無心元」と致返答候処、内匠頭顔色歓之体に相見へ申候。「外に可申上筋無之奉恐入候。御定法通御仕置被仰付可被下」と計り被相答候。依之猶又内匠頭は蘇鉄之間え差置付居候。
上野介儀、同様檜之間医師溜にて官服とらせ、麻上下着用為致候処、何故に候哉熨斗目用意無之故、外(ほかの)人之熨斗目着せ、即同所にて、同役両人上野介え申渡、「貴様先刻、浅野内匠頭遺恨有之趣にて被及刃傷候段、子細可相糺旨被仰渡候に付、御定法通り言葉相改候。其方儀何之恨を受候て、内匠頭場所柄を不憚及刃傷候哉、定て覚可有之、有体可申上」と申渡候処、上野介返答には、拙者儀何之恨を請候覚無之、全く内匠頭乱心と相見申候。且老体之事故何を恨候哉、万々覚無之由外可申上儀無之」由返答に付、多門伝八郎・久留十左衛門・近藤平八郎・大久保権左衛門四人より、大目付仙石丹波守・安藤筑後守両人え相談之上、若年寄え右之趣及言上候処、老中小笠原佐渡守え被申上、佐渡守殿・相模守殿列席にて、内匠頭・上野介返答之趣、巨細御目付四人より直に言上致し候処、松平美濃守殿え猶又申達、追々御指図可有之旨、暫之内四人之者は部屋に扣(ひかえ)候外、御目付弐人宛(ずつ)内匠頭・上野介え替々附置候処、其内に上野介は手疵手当之趣相願候に付、同役品川豊前守差添にて、御医師天野良順・栗崎道有両人、容体致一覧候処、浅疵にて可有之由にて、その手当いたし候。
(中略)
(以下が柳沢吉保を通じて出された将軍綱吉の裁定について書いた部分です。)
若年寄加藤越中守殿・稲垣対馬守殿御逢有之、
浅野内匠頭儀、先刻御場所柄をも不弁、自分宿意を以、吉良上野介え及刃傷候段不届に付、田村右京太夫え御預け、其身は切腹被仰付候。
上野介儀、御場所を弁、手向不致、神妙之至、御医師吉田意安服薬仰付、外科は栗崎道有被仰付、随分大切に保養可致候。
右に付、御目付一統奉畏候

