今日は、浅野内匠頭が切腹する様子を見ていきたいと思います。
「赤穂義人纂書 第2 赤穂義士資料大成」に収録されている「田村右京太夫殿に浅野内匠頭御預一件」を読むと、浅野内匠頭の切腹がどのように行われたのかがよくわかります。
気が付いた点を、いくつか書いていきます。1、「出会の間」に囲いが造られて、そこに浅野内匠頭は収容された。
1、囲いに収容されるとすぐに一汁五菜の料理が出され、浅野内匠頭は湯漬けを2杯たべた。
1.切腹の場所は、出会の間の庭にむしろを敷いた上に畳を敷き毛氈をその上に置いた。
1、切腹は六ッ時
1、介錯は磯田武太夫が行った。
1、切腹するやいなや、遺骸にはふとんをかぶせ白張の屏風を引き回した。
1、切腹の場所が暗いので高張提灯で照らした。
1、遺骸は、老中から近親者に引き渡してもよいとのお許しを得ているとの庄田下総守のお言葉であるので、浅野大学に手紙をやると建部喜六と糠谷勘左衛門が受け取りにきた。
原文を下記しておきます。
一、内匠、此方玄関より出會之間迄乗物かき入させ、囲の内に入申候。
(中略)
一、内匠差置候處、中之間板囲にしつらい、尤大小用處、其間之内に付る。
(番人名等略)
一、外囲之口に足軽張番置
一、囲之内に入候と其儘、大紋為取料理出す、一汁五菜 湯漬二杯食之
一、七時少前、庄田下総守、大久保権左衛門、多門伝八郎被参 我等にも御用有之由被申候付、居間へ通申候、内匠事、所柄時節旁以不届至極成義共故、切腹被仰付候間、此段右京にも為申聞候様と、相模守殿被仰候由、下総守被申候、
(以下略)
一、切腹場所、出合之間庭に莚(むしろ)を広く敷、其上畳を敷せ、毛氈構置申候
一、右用意相調候而、内匠に上意有之候間、上下着候様にと申達、上下出し着させ候、小袖は昼より致着候儘にて上下きせ申候、若御紋付熨斗目にて候はば為着替可申と存候得共、自分定紋故如右
一、六ッ時過ぎ、出會之間に、庄田下総守、大久保権左衛門、多門伝八郎出席、上之方に着座、 我等は東の方角に着座,扨(さて)内匠を呼出す、此節御徒目付3人左右後に付、手前之者も敷居際迄付出、上意之趣庄田下総守申渡、
(上意の内容略)
一、右畢而御徒目付左右後に付添、障子を明、庭へおろし、毛氈之上に着、小脇差三方に戴之、中小姓愛澤惣右衛門麻上下着持出、前に差置之、介錯御徒目付之内磯田武太夫即相仕廻、首を指揚検使に見之
一、切腹の場、御歩行目付御小人目付並居候、此方之もの一切入申間敷由、指図に付而、任其意候
一、切腹いなや、兼而拵させ置き候ふとん其儘死骸上に打掛、白張之屏風引廻させ候
一、(中略)
一、右場處暗く無之 、高張提燈多数置候
、(以下、中略)
一、右内匠死骸、近き親類に引取候にと可申遣旨、御老中へも得御内意候由、庄田下総守どの演説に付て、内匠弟浅野大学方に早速以手紙申遣候之處、奉得其意由にて、家来建部喜六糠谷勘左衛門両人を以、受取度由申越候、右両人へ家老共出會対談、死骸並小サ刀、大紋、鼻紙袋、烏帽子為渡之候。

