昨日紹介した淀城は、江戸時代になって築造された淀城です。有名な淀君が暮らした淀城は、現存の淀城跡より600メートルほど北に行った場所にありました。
現在は、妙教寺という寺院になっている場所が淀城の本丸だと言われています。
妙教寺の境内には「史跡 淀古城跡、戊辰役砲弾貫通跡」の石柱が立てられています。
それには、
「此処は戦国時代の始、細川管領家が築城し薬師寺与一 岩成左通 淀君の居城となった淀古城の址である。」
と書かれています。
この妙教寺には、鳥羽伏見の戦いの際に打ち込まれた砲弾の跡が残されています。石柱には、「慶應四年正月四日戊辰役の際 東軍砲弾が飛来し本堂を貫通したその弾痕がある」と書かれています
砲弾の跡は、本堂内に残されているというので、ご住職にお尋ねしました。
すると、夕方でしたが、快く本堂の扉を開き、中を観させていただけました。
砲弾は、本堂の壁を貫き、また本堂中心にある柱を貫通して、反対側で止まったそうです。本堂の壁板は、位牌の並ぶ中に、当時のまま残されています。
また、堂内には「砲弾貫通の柱」があります。
砲弾はその柱の中心部を貫通している痕跡がはっきりと残されていました。
砲弾が貫通した周りは鉄で補強されていますが、現在も本堂内で柱として使用されています。
また、境内には「戊辰戦役東軍戦死者之碑」があります。明治40年に建立されたもので榎本武揚の揮毫です。
赤印が妙教寺です。青印が淀城跡です。

