先日、今年のお題「本当の忠臣蔵」にちなんで、忠臣蔵に関する択一問題を、受験勉強を一緒にしているお仲間向けに出題してくださいとのご依頼がありました。その依頼に応えて考えた問題をすでに「ひまつぶしさん」にお渡ししましたが、ブログにもアップします。
難しい問題もあるとは思いますが、基本的にはネットで検索していただければ回答がわかるレベルで考えてみました。
正解を競うより、勉強する範囲がわかればと思って考えてみました。
江戸検受験される方の勉強のきっかけになれば幸いです。
なお、回答は、明後日のブログに書きますので、それまでお考えください。
右写真は、泉岳寺にある大石内蔵助の銅像です。
1、赤穂藩上屋敷は、鉄砲洲にありました。松之廊下の刃傷事件で幕府に収公された後、ある藩に下賜されました。その藩は次のうちどれでしょか?
①小浜藩酒井家 ②姫路藩酒井家 ③庄内藩酒井家 ④敦賀藩酒井家
2、赤穂藩下屋敷は、明治になって、有名な人物の屋敷となりました。さて、その人物は誰でしょうか?
①西郷隆盛 ②桐野利秋 ③勝海舟 ④渋沢栄一
3、大石内蔵助の妻「りく」は、ある藩の家老石束毎公(いしづかつねよし)の長女として生まれました。それでは石束毎公が仕えた大名家は何家でしょうか?
①仙石家 ②京極家 ③杉原家 ④小出家
4、大石内蔵助は、討ち入り前に日本橋に滞在していました。
その宿の名前はなんといったでしょうか?
①長崎屋 ②小山屋 ③和泉屋 ④秋田屋
5、忠臣蔵の多くはフィクションですが、中には事実のものもあります。
事実のものはどれでしょうか?
①南部坂雪の別れ ②土屋主税の討入助力
③赤垣源蔵徳利の別れ ④田村邸での片岡源五の暇乞
6、四十七士の内には、一族で参加している人たちが多くいます。それでは、小野寺十内の一族は何人討ち入りに参加したでしょうか?
①三人 ②四人 ③五人 ④六人
7、浅野内匠頭長矩の戒名は次のうちどれでしょうか?
①華岳院殿鋳山道牛大居士 ②冷光院殿前少府朝散太夫吹毛玄利大居士
③霊性寺殿実山相公大居士 ④亮監院殿月清涼山大居士 ..
8、赤穂浪士討ち入り時の本所吉良邸の大きさはどのくらいあったのでしょうか?
①1500坪 ②2500坪 ③3500坪 ④5500坪.
9、赤穂浪士が討ち入り後回向院に休憩をするために境内に入りたいと申し入れた際、回向院は入山を断っていますが、その際の何と言って断ったでしょうか?
①寺法で犯罪を犯した人は入れないこととなっている。
②寺法で夜は入れないこととしている。
③住職が不在で許可がもらえない。
④47人にも休める部屋がない。
10、討ち入りの前日に吉良邸で山田宗徧を招いてお茶会が開かれました。山田宗徧は吉良上野介と兄弟弟子でしたが、ある大名家に仕えていました。
その大名家は次のうちどれでしょうか?
①尾張藩徳川家 ②松江藩松平家 ③吉田藩小笠原家 ④佐倉藩堀田家
11、赤穂浪士47人は10代から70代まで、幅広い年代で構成されていますが、討ち入りの主力となった20代・30代の人は全体の何割程度でしょうか?
①5割 ②6割 ③7割 ④8割
12、赤穂浪士の一人、大高源吾は「子葉」の俳号をもつ俳人としても有名です。
それでは、大高源吾の句集の名前は何と言うでしょうか?
①枯尾花 ②二つの竹 ③文蓬菜(ふみよもぎ) ④竹平
13、浅野内匠頭の弟浅野大学が住んでいた屋敷跡は、現在は、忠臣蔵をよく上演する劇場となっています。
そんでは、なんという劇場になっているでしょうか?
①歌舞伎座 ②明治座 ③新橋演舞場 ④国立劇場
14、赤穂浪士討ち入り後、吉田忠左衛門と富森助右衛門が自首した仙石伯耆守は、事情を聴いた後、まず月番老中に報告し、その後登城しました。
それでは、仙石伯耆守から報告を受けた月番老中は次のうち誰でしょうか。
①土屋相模守政直 ②小笠原佐渡守長重 ③秋元但馬守喬朝 ④稲葉丹後守正通
15、赤穂浪士討ち入り後、当時の儒学者の中でも、賛否両論の論争が行われました。
次の書物のうち、否定的な意見が書かれているのはどれでしょうか?
①林鳳岡「復讐論」 ②佐藤直方「四十六人之筆記」
③室鳩巣「義人録」 ④浅見絅斎「赤穂四十六士論」
正解はこちら ⇒ 模擬問題第1回正解

