そこで、一足早いのですが、一昨日、「竹葉亭本店」でうなぎを食べてきました。
「竹葉亭」は、今は、銀座や京橋に支店がありますが、本店は、昔は木挽町といった銀座8丁目にあります。
最寄駅は「新橋駅」もしくは「東銀座駅」です。JR新橋銀座口からですと徒歩7から8分です。
東京メトロ「東銀座」駅4番出口からですと4分から5分です。
「竹葉亭」が創業したのは、京橋近くの浅蜊河岸(あさりがし)で、時期は江戸末期だそうです。
幕末の浅蜊河岸(あさりがし)といえば、剣豪桃井春蔵が鏡新明智流の道場「士学館」を開いていた場所です。
「士学館」は江戸三大道場の一つに数えられ、土佐藩の武市 半平太が塾頭を勤めていたことで知られる道場です。
その「士学館」門下生の「刀預かり所」を役目とした留守居茶屋として初代別府金七が創業したのが「竹葉亭」だそうです。
「士学館」と縁があるお店というと幕末好きの人には興味がわくでしょうね。
明治9年には、留守居茶屋から酒や鰻の蒲焼きを提供する店となりました。
その際に、屋号は、中国で酒のことを「ササ」と称したことにちなんで「竹葉亭」と名付けられたそうです。
2代目金七は、最高の鰻屋を目指して研究を重ねる一方で、販路の拡大にも努め、お店の近くにあった「新富座」を皮切りに歌舞伎座・帝劇などへ弁当を納入し、「竹葉亭」は鰻の代表的な店として確立されたそうです。
明治30年には尾張町(現在の銀座4丁目)に新店舗を出店しましたが、大正12年の関東大震災で被災し、その後、東京市の区画整理により現在の銀座8丁目(当時は木挽町)に移転しました。
これが、竹葉亭本店です。
昭和56年に一部を改装したそうですが、離れの茶室と座敷は大正13年に建てられたままの姿を現在も残しています。
まわりはビルとなっていますが、竹葉亭本店だけが昔のたたずまいを残していて、大変おちついた雰囲気のあるお店です。
入り口はお座敷とテーブル席用とに分かれて2つあります。(右最上段写真)
一昨日は、御座敷で会席料理をお願いしていましたので、仲居さんのお出迎えがありました。
お部屋は8畳の和室、床の間には軸が架けれていてお花が活けられていました。(右2段目写真)
お料理は
前菜・刺身・お椀盛り・蒲焼・御飯・味噌椀・香の物・水菓子・和菓子のコースでした。
前菜をつまみとしてお酒を飲んでいると、ほどなく刺身・お椀盛りが出てきました。
そして、メインは、もちろん「蒲焼」です。
出された「蒲焼」は、立派な「蒲焼」でした。(右写真)
うなぎは静岡県榛原郡吉田町産だそうです。
早速「蒲焼」をいただきましたが、非常にふっくらとしていて、箸をいれると、自然に切り分けられるような柔らかさで驚きました。
また、出されたご飯も大変おいしく、御替りOKとのことだったので、自然に御替りをしたくなる程でした。
その後に出された水菓子・和菓子も申し分なく、大変素晴らしいコース料理でした。
帰る際には、女将の丁寧なお見送りもいただき、しばらく余韻の残るお店で、さすが、140年を超える歴史を誇るだけに、味、部屋、応対すべてにおいて申し分ないなぁと感心しました。
満足の一夜でした。