日新館は、会津戦争で焼失しましたが、図面などが残っていたため、昭和62年3月に会津若松市河東町に完全復元されました。
総面積3万8千坪あり、総工費は34億円を費やしたそうです。
会津市内と言って市街地からは離れているため、会津若松駅からはバスでいくかJRで「広田」駅まで行ってタクシーでいくことになるようです。
現在の日新館は、弓道場・武道場もり、研修施設や宿泊施設も兼ねているため、各種の武道団体も練習や合宿に利用されているそうです。
南門
南門は、日新館の正門です。
江戸時代は上級武士や藩士のみが使用を許されました。
一般の生徒は東門か西門を利用していました。
現在の門に掲げられている「日新館」の文字は、会津松平家13代当主松平保定氏が書いたものだそうです。
戟門(げきもん)
南門をくぐると見えてくる門です。
戟門は、もともと重要な建物を守る衛兵が「戟」という武器を持って監視をしていたことに名前の由来があります。
門の左側には大きな太鼓がありこれを打って授業の時刻を知らせていました。
東塾
戟門の両翼には、東塾と西塾がありました。 東塾と西塾があわせて「素読所」と呼ばれていた初等教育の校舎でした。
藩士の子弟は10歳で入学すると、まずは論語を中心に漢文の読み方を学習しました。
また、12歳になると書道を学びました。書道は特に重要視された教科の一つでした。
大学(講釈所)
大学には素読所を卒業した五百石以上の長男と、成績・人物ともに優秀な者だけが入学を許されました。
等級は、下等級、中等級、上等級と三等級あり、年一回試験があり、中等級に進んで将来有望なものは江戸の昌平黌や他藩の藩校への留学制度がありました。
大成殿(たいせいでん)
大成殿は、孔子を祀った建物です。
銅板瓦葺で、屋根までの高さ10.7メートル、軒まで6.2メートルあります。
中には、大理石でできた孔子像が中央に置かれています。
孔子像は、高さ160センチで重さ2トンあります。
水練水馬池(すいれんすいばいけ)
日本初のプールといわれ、周囲85間(約153m)ありました。 会津藩では向井流の泳法を学習しました。
水馬や甲冑を着たままの水練もあったそうです。
藩校で水練場を備えていたのは、ほかには萩の明倫館(山口県萩市)だけでした。
武講(ぶこう)
武講は、兵学を研究する所です。
現在でいえば、防衛大学校のような学校だそうです。
武講は、日新館のなかで、唯一軍事奉行の配下にありました。
藩士の長男は18歳になれば武講で講義を受けなくてはなりませんでした
武道場
武道場は、剣術と槍術の道場です。
素読所に入った子弟は15歳になると、これらの武道も必修科目に加えられました。
午前中の学問の講義が終ると、午後は武学寮にある各道場へ行って、武道の稽古に汗を流しました。
木馬場
会津藩の馬術は、大坪流でした。
乗馬の型の稽古は、日新館内にある「木馬場」で行なわれました。
文字通り、木馬にまたがって「型」の稽古をするのでした。
天文台
冬至には、ここで天体を観測し暦を作ったと言われています。
他藩の藩校で天文台を持っていたのは薩摩の造士館、水戸の弘道館だけでした。
砲術場
砲術には、稲留・種子島・夢想・自由斎・荻野・一味・永田・新格・諸葛・高島の諸流がありました。
角場(射撃場)は、日新館内のものは5区画しかなかったため、各流派がそれぞれに日程を調整しつつ使用して教授したようです。
JR広田駅
日新館は、会津若松市河東町にあります。
最寄駅は、JR磐越西線「広田駅」です。
その広田駅で、電車を待っている間、磐梯山がきれいに見えましたので写真に撮りました。
「綺麗な磐梯山」、そして「のどかな駅の風景」に魅了された広田駅でした。