大石内蔵助は、なかなか粋で器用な人だったので、地歌の作詞をしたとされています。。
大石内蔵助が作詞した地歌は「里景色」と「狐火」と題されたものです。
この大石内蔵助が作詞した地歌に、祇園の井筒屋の主人である岸野次郎三(じろうざ)が曲をつけたと伝えられています。
「里げしき」
更けて廓のよそほひ見れば、宵の燈火うちそむき寝の、
夢の花さへ散らす嵐のさそひ来て、
閨につれ出すつれ人をとこ、
よそのさらばも猶あはれにて、
内も中戸をあくるしのゝめ、
送る姿の一重帯、
解けてほどけて寝乱れ髪の、
黄楊のつげの小櫛も、
さすが涙のはらはら、
袖に、こぼれて袖に、
露のよすがの憂きつとめ、
こぼれて袖に、
つらきよすがのうき勤め。
「狐火」
あだし此身を煙となさば、
せめてくるのは里近く、
廓のや、廓のせめて、
せめて廓のさと近く、
何を思ひにこがれて燃ゆる。
こがれてもゆる、
野辺の狐火さよ更けて、
思ひにこがれてもゆる、
野火の狐火小夜更けて。
また、大石内蔵助は伏見橦木町の笹屋清右衛門の部屋の天井に次の詩を落書きしたという話も残されています。
今日亦逢遊君 空過光陰
明日如何 可憐遊君急払袖帰
浮世人久不詳 逗留不過二夜者也
読み下すと次のようになるようです。
今日また遊君に逢いて、むなしく光陰(時間)を過ごす。
明日は、いかがか。 憐れむべし、恐らくは君、急に袖を払いて帰らん。
浮世、人の久しく逗留するを許さず。二夜を過ぎざるものなり
また、赤穂の大石神社にある「掟の盃」という杯は、大石内蔵助の遺品のひとつで笹屋に残こされたものだそうです。
これは、大石内蔵助自身がデザインしたといわれる木杯で、 「遊春杯(ゆうしゅんはい)」 と命名されているそうです。
その内容は、次のように酒席で酒飲みが守るべき心がけについて書いた物だそうです。
一、喧嘩口論の事 (喧嘩口論をしてはいけない)
一、下に置へからず (盃を下においてはいけない)
一、おさえ申間敷事 但し相手によるべし (無理強いしてはいけない、但し相手による)
一、したむべからず (こぼしてはいけない)
一、すけ申間敷事、但し、女はくるしからず
(他人に注がれたお酒を代わりに飲んであげてはいけない、但し女性が困っている場合は助けても良い)
大石内蔵助はなかなか器用な遊び人だったようです。

