会津武家屋敷は江戸時代の会津藩家老西郷頼母の屋敷を中心に、福島県重要文化財である旧中畑陣屋や数奇屋風茶室、藩米精米所などの歴史的建造物が軒を連ねる屋外博物館(ミュージアムパーク)です。
全体で7千坪もあります。
ここの中心は家老屋敷です。ここは会津藩家老であった西郷頼母の屋敷を復元しています。
設計は、俳優山本學、山本圭、山本亘(せん)兄弟の父である建築家の山本勝巳が行っています。
西郷頼母の屋敷は、、敷地面積2400坪、建築面積280坪の壮大な屋敷の屋敷です。 部屋は38部屋あり、畳は328枚もあるそうです。
表門(右上写真)は四脚門で、玄関(右下写真)は式台付の玄関です。
共に西郷家の格式の高さを示しています。
西郷頼母の屋敷は大きく分けて4つに分かれています。
一つは御成り御殿で、ここは藩主を始め重役が通される格式の高い部屋です。
次いで、客待ちの間、表居間、使者の間や番所、役人所などで西郷頼母や家臣が執務したり警備に使用する部屋です。
さらに、奥一の間、奥二の間、子供部屋など家族が使用する部屋、
最後に、女中部屋・台所など使用人が使う部屋です。
家老屋敷は、各部屋に丁寧に説明がされていますが、38室すべてを紹介しきれませんので、主な部屋を紹介します。
御成りの間
藩主はじめ重役以外は通されることがなかった格式の高い部屋です。
御成の間は藩主の御成りになった時だけ使用された部屋で、家老屋敷では、松平容保と西郷頼母の人形が置かれています。
奥の部屋中央に松平容保が座り、手前に西郷頼母が控えています
自刃の間
家老屋敷は西郷頼母の屋敷を復元したものですので、西郷頼母一族21人の自刃もこの屋敷で起きました。
そのうち、西郷頼母の一族9人が自刃した部屋が「自刃の間」として説明されていました。
自刃は、仏間、次の間、奥二の間で行われたようです。
写真左手の部屋が次の間で、右手が奥二の間です。仏間は次の間の左にありました。
仏間は、先祖をお祀りしている部屋です。
次の間は、家族が食事したり、休憩したりする部屋です。
そして奥二の間は、頼母の娘たちと頼母の母律子の部屋だったそうです。
化粧の間と子供部屋
屋敷の一番奥には、妻千恵子の部屋と男の子の部屋が並んでいます。
写真左手が化粧の間で、この部屋が 千恵子の部屋でした。
その隣二部屋が男の子の部屋で、右手が長男の部屋、床の間が付いています。真ん中は、次男、三男などの部屋で床の間はありません。
西郷頼母一族の自刃
家老屋敷の中には、西郷一族の自刃の様子が、人形で復元されています。
人形では、一族が自刃した後、新政府軍側の隊長が、部屋に入ってみつけ、まだ息のある少女が最後の介錯をお願いする場面が復元されています。
写真左手で花瓶の後ろに次女・瀑布子(たきこ 13歳)。中央手前が三女・田鶴子(たづこ 8歳)、 四女・常盤子(とわこ 4歳)、中央が五女の李子(すえこ 2歳)を抱いたまま息絶えた頼母の妻・千恵子(34歳)です。
そして、左が介錯をお願いする長女・細布子(たえこ 16歳)です。
右手の赤熊が新政府軍の隊長で、後に初代衆議院議長となる土佐藩士中島信行と言われています。