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吉良邸の大きさ(江戸検お題「本当の忠臣蔵」62)
 今日は、忠臣蔵の関係で、吉良上野介の屋敷について書きたいと思います。

 その前ですが、10月に文京学院大学生涯学習センターさん主催で開催される「忠臣蔵散歩」ですが、お蔭様で、一般申し込みが開始された昨日午前中に、定員に達したようです。
 初日に定員に達するとは思っていませんでした。
 お申込みいただいた皆様ありがとうございました。
 また、定員オーバーで、お申込みできなかった方、まことに申し訳ありませんでした。

 さて、それでは、吉良邸について書いていきます。  
吉良邸の大きさ(江戸検お題「本当の忠臣蔵」62)_c0187004_10589.jpg 吉良上野介は、第4回の模擬試験問題に書いたように、鍛冶橋門内に屋敷を拝領していました。
 その屋敷が、元禄9年の勅額火事により焼失したため、新たに呉服橋門内に屋敷を拝領しました。
 松之大廊下で浅野内匠頭に斬りつけられた時には、呉服橋門内に屋敷がありました。
 しかし、刃傷事件後、高家肝煎の辞任を申し出てそれが認められたため、元禄14年8月に呉服橋門内から本所に引き移るように指示されました。
 吉良家の移転については 隣の徳島富田藩蜂須賀家の働きかけがあったという説もありますが、確かなことははっきりしていません。
 

 本所の屋敷周辺の地図は、下写真のようです。
吉良邸の大きさ(江戸検お題「本当の忠臣蔵」62)_c0187004_9575215.jpg
 これは、元禄15年版の「改撰江戸大絵図」が元になっていると思われます。
 横向きで「キラ左兵」と書かれているのが吉良邸です。
吉良邸は、三方向は道路に囲まれていて、北側に旗本屋敷があります。
 北西の旗本屋敷は、「土ヤチカラ」つまり土屋主税の屋敷でした。
 土屋家は、元々は、久留里藩の藩主の家柄ですが、主税の父の代に改易となり、主税は3千石の旗本でした。

 北東の屋敷は、「本多マコ太郎」つまり本多孫太郎の屋敷です。
 本多孫太郎は、福井藩松平家の家老でした。討入り当日は、福井に在留していて江戸屋敷にはいませんでした。

 表門の東側の道路を隔てた向かい側は「マキノ長門」つまり旗本牧野長門の屋敷でした。しかし、討入りの当時は、牧野長門の子供の牧野一学に代替わりをしており、牧野一学は駿河在番で屋敷にはいなかったようです。
 裏門の道路を隔てた向かい側には「エカウイン」つまり回向院がありました。

 
 この敷地の中に、下の絵図面のような屋敷が建てられていました。
 下の絵図面は、富森助右衛門の子孫の家に伝わるものですが、吉良邸の最も詳しい絵図面だそうです。
吉良邸の大きさ(江戸検お題「本当の忠臣蔵」62)_c0187004_100723.jpg
 
 絵図面の右側つまり東側に表門があり、左側が西側で、そこに裏門があります。
この絵図面による屋敷の大きさは、表門側の南北が、34間2尺8寸(約62.7メートル)、 裏門側の南北長さが34間4尺8寸(63.3メートル)、東西の長さが73間7尺3寸(約134.9メートル)となっています。
 面積は、約2550坪でした。

 表門側に、吉良左兵衛の住む部屋があります。
 吉良上野介の住む隠居部屋は、裏門側にありました。
 隠居部屋側にも玄関があり、ここから出入りが可能となっています。
 吉良上野介の部屋近くには茶室もありました。

 屋敷の道路に面した三方向には長屋が設置されていました。
 長屋には、吉良家の家臣が住んでいました。当然、上杉家から派遣された武士も、そこに滞在していました。
 この長屋は二階建てだったと考えられています。
 屋根までの高さは6.6メートルあったとNHKによる推測がされています。
 それだけの高さですから簡単に乗り越えられませんので、赤穂浪士が討ち入る際には、梯子を準備する必要がありました。
 赤穂浪士が準備した道具の中に梯子が含まれているのは、こうした事情があったためです。
by wheatbaku | 2013-09-03 09:53 | 忠臣蔵

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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