人気ブログランキング | 話題のタグを見る
寺坂吉右衛門は逃亡か密使か(江戸検お題「本当の忠臣蔵」75)
 
 泉岳寺で、点呼をとったところ、寺坂吉右衛門がいないということがわかりました。
 寺坂吉右衛門がいなくなったのは「逃亡か」「密使か」については様々な意見があり、昔から諸説が発表されています。
 この寺坂吉右衛門の扱いにより、赤穂浪士を「四十七士」とするか「四十六士」とするかの分かれ目となります。
 そのため、「寺坂吉右衛門問題」に触れないわけにはいきませんので、今日はこの「寺坂吉右衛門問題」について書いてみたいと思います。

 寺坂吉右衛門が「逃亡したのか」「密使だったのか」については、 「忠臣蔵」について書かれている先生方の意見も、それぞれ異なっています。 
 まず、宮澤誠一氏の「赤穂浪士」でどう書かれているか書いてみたいと思います。
寺坂吉右衛門は逃亡か密使か(江戸検お題「本当の忠臣蔵」75)_c0187004_2374355.jpg 宮澤氏は、寺坂吉右衛門は逃亡したと考えているようですが、次のように書いています。

 寺坂吉右衛門の逃亡説の論拠となる主な史料は二つある。
 一つは「堀内伝右衛門筆記」の中に書かれている内容で、吉田忠左衛門が「此ものハ不届者にて候、重て名ヲ仰せ下され間敷と申され候」と言っていることである。
 二つ目は、大石内蔵助が、原惣右衛門、小野寺十内と連名で京都の寺井玄渓にあてた手紙の中で、「寺坂吉右衛門儀、十四日暁迄これある処、彼屋敷へハ相来たらず候、かろきものゝ儀是非に及ばず候」と書いていることである。
 密使説についての問題点を挙げると次のようだと言います。
 密使説を唱える人たちは、大石内蔵助や吉田の発言は寺坂を討入りの罪から救うためのものであり、彼らの言葉を字義とおり解釈すべきではないというが、寺坂を庇うのであれば大目付仙石伯耆守に陳述すればよいので、私信まで書く必要はないであろう。
 また、寺坂に特別の配慮をする必要のない三村次郎左衛門までが、「たちのき申候由に御座候」と書いている。
 一方、寺坂吉右衛門自身は「引払の節子細候て引別申候」というだけで離脱した子細には触れていない。
 寺坂吉右衛門が広島の浅野大学の所にいったというは風評で、史料的に確かなことは、播磨国亀山に行き、それからも吉田家に仕えたというだけである。
 また、そもそも討入りが終わった時点で浅野大学などに密かに伝えるべき事柄あるか疑問である。
 また、そうしたことがあったとしても寺坂以外にもっとふさわしい人物がいる。 

 これらを読むと、宮沢先生は、逃亡説を支持しているように思われます。

 山本博文先生は、寺坂吉右衛門について明確に自分の意見は述べていません。
  「本当の忠臣蔵」では「寺坂にしてみれば、(中略)もう役目は終わったと考えたのではなかろうか」と書いていますし、「敗者の日本史」では、「足軽という身分だから一緒に死なせるのはしのびないとされ、逃げるように指示されたというのが真実に近いような気がする」とも書いています。
 逃亡説をとっているようにも読めますし、密使説をとっているようにも思えます。

 野口武彦氏は「忠臣蔵」で、
 「明らかに幹部の密命を受けて姿を消したのである」
 と書いていて密命説をとっています。


 寺坂吉右衛門について、非常に詳しく書いてあるのが、赤穂市発行の「忠臣蔵第一巻」です。
 18ページにわたる長文ですので、コンパクトに結論だけ抜書き的に書いておきます。
 一部を抜書きしますので、全体のトーンが著者の意向と違った場合にはご容赦いただきたいと思います。
 赤穂市発行「忠臣蔵」は、寺坂吉右衛門は討入りに参加したが、自分の意志で姿を消したのだろうと結論づけているようです。

 まず「寺坂吉右衛門は、吉良邸にうちいったか」について、
 寺坂吉右衛門は、吉良邸に討ち入る吉良上野介を討ち取るまでは吉田忠左衛門の従者として吉田のそばにいたと考えられる。
寺坂吉右衛門は逃亡か密使か(江戸検お題「本当の忠臣蔵」75)_c0187004_13311566.jpg 「それでは、いつ離脱したか」について、
 「寺坂信行筆記」を読むと、引揚げの叙述がきわめて短文であること、さらに途中、主人吉田忠左衛門と富森助右衛門が一行から別れて仙石伯耆守の屋敷へ行ったことが記述されていないのも離脱が早期であったことを推察させる。
 「寺坂吉右衛門が広島の浅野大学のところに行ったか」について
 これを確認する証拠はえられない。ただわかることは寺坂が討入り後まもなく播磨国亀山に来たことだけである。
 その他の史料を分析した結果、寺坂が広島に行ったとの説はすでに消えた。
「 しかし、播州に帰るように説得をうけたかどうか」について
 寺坂が吉良上野介討ち取り後、早い時期に姿を消したと推定される以上、その段になって、説得する暇があったかどうか考えると、やはり、討入り成功後、寺坂が自らの考えで姿を消したと考えるのが事実に近いと言えるのではないか。
 こうして寺坂は、四十七の一人として討入りには加わったが、その後姿を消し播州に下ったという結論になる。
 と書いています。


右の二つの写真は、泉岳寺にある寺坂吉右衛門のお墓です。
 下の写真をご覧ください。
 ほかの赤穂浪士は「刃」「釼」のついた戒名ですが、寺坂吉右衛門の戒名は、「逐道退身信士」となっていて、いかにも逃亡した人物というような戒名となっています。
by wheatbaku | 2013-09-19 07:46 | 忠臣蔵

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
by 夢見る獏(バク)
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事
2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
ブログパーツ
ブログジャンル
歴史
日々の出来事