今日はこの「江戸歌舞伎発祥之地」碑のご案内です。
江戸歌舞伎は、寛永元年(1624)、京都から下ってきた猿若勘三郎が中橋南地に、猿若座の櫓をあげたのが始まりと言われています。
この猿若勘三郎が、後に名前を変えて中村勘三郎となり、座の名前も中村座となりました。昨年18代目の中村勘三郎さんは惜しくもなくなってしまいましたが、江戸歌舞伎では、中村勘三郎という名跡はもっとも由緒あるものです。
この碑は、猿若座が興業を開始したのを記念して昭和32年(1957)に建立された碑です。
この碑には次のように書かれています。
寛永元年二月十五日 元祖猿若中村勘三郎 中橋南地と言える此地に 猿若中村座の芝居櫓を上ぐ これ江戸歌舞伎の濫觴也 茲に史跡を按し 斯石を鎮め 国劇歌舞伎発祥の地として永く記念す
昭和三十一年七月 江戸歌舞伎旧史保存会
この碑文の中で「中橋南地と言える此地」と書かれていますが、中橋とは現在の日本橋と京橋の中間にあった橋です。
中橋は当時楓川と外堀をつないでいた紅葉川に架かる橋で、現在でいえば、東京駅八重洲中央口の東側の中央通りと八重洲通りが交差する辺りだったと思われます。
そのため、京橋川にかかっていた京橋とは違う地点だったと思われます。
ですから、京橋が江戸歌舞伎発祥の地というのは正しくないと思いますが、記念碑を建設する際に何らかの事情があって京橋が中橋南地すなわち江戸歌舞伎発祥の地とされたのでしょう。
「江戸歌舞伎発祥之地」の碑を良く見ると、三つの家紋が刻まれています。

「隅切銀杏」紋のすぐ下の家紋は「舞鶴」紋です。中村家の家紋は、元々は、この「舞鶴」紋だったそうです。
しかし、5代将軍綱吉が大変可愛がっていた愛娘の「鶴姫」と同じ「鶴」であることから、「舞鶴」紋を使用することを憚って「隅切り銀杏」紋に変えたと言われています。
また、「舞鶴」紋の両脇が、「丸に三つ柏」紋です。
猿若勘三郎は明暦3年5月に、息子勘二郎を伴って親子で京に上り、禁裏で『猿若』と『新発意太鼓』(しんぽちだいこ)を上演し、後西院からは『あかじあかじ』と賞賛され、高い評価を得たとされています。
この際、勘三郎はビロード地に「丸に三つ柏」紋の羽織を賜っています。
このことから「丸に三つ柏」紋も刻まれているものと思います。
なお、後西天皇の言われた「あかじあかじ」とは、いつまで見ていても『飽きない飽きない』という意味のようで、これに因んで息子勘二郎の名を『明石』としているそうです。
この後西天皇に関係する中村勘三郎の情報は、忍駒さんから教えていただいたものです。
忍駒さんありがとうございました。
赤印が「江戸歌舞伎発祥之地」碑です。

