埼玉県では、「酉の市」は、12月8日が熊谷高城神社の「酉の市」、12月10日が大宮氷川神社の「十日市(とおかまち)」、12日が浦和調神社の「十二日まち(じゅうにんちまち)」、そして15日が川口神社の「おかめ市」と北から順に南下してきます。
私が勤めている会社では、「おかめ市」にお参りしてその後忘年会を行うというのが年末の恒例行事ですので、今年は日曜日でしたが、例年どおり、参拝および忘年会に行ってきました。今年のおかめ市は、例年に比べて参拝客が多く、参道は大勢の人で混み合っていました。
参道に飾られている熊手を購入する人も多かったように思います。
天候が穏やかであったのと景気がいくらかよくなってきた現れではないでしょうか。
さて、日曜日に出かけるので、どうせならばと「御府内八十八ヶ所めぐり」でまだ参拝していないかった京王線沿線の2ヶ寺にお参りしてきました。
日野市にある第25番札所の「長楽寺」と世田谷区北烏山にある第3番札所の「多聞院」です。
そこで、今日は、「長楽寺」のご案内をします。
「長楽寺」は、日野市の京王線および多摩都市モノレールの「多摩動物公園駅」の目の前の多摩丘陵を開いた高台にあります。右写真は、京王線の多摩動物公園駅のプラットホームから撮ったものですが、ちょうどモノレールが「長楽寺」の本堂と阿弥陀堂の前に通りかかったタイミングを写しました。
右の赤い屋根が本堂で左の赤い屋根が阿弥陀堂です。
この写真と最下段の参道が長い坂となっているのを見ていただくと長楽寺が高台にあるのがわかるかと思います。
長楽寺は、いただいた資料によれば、元和6年(1620)当時の代官であった渡辺与兵衛が頼音和尚に帰依し、角筈村(現在の新宿・東京オペラシティのあたり)に開山されたとのことです。慶安3年(1650)正月に、4代将軍・徳川家綱が府中の六所宮(大国魂神社)を参拝した際に長楽寺に立ち寄り「六所山」の山号と宸筆を拝領しました。
その後、鷹狩りの際には将軍が中食を食べる場所として長く利用されました。しかし、昭和20年(1945)の戦災で堂宇が焼失し、戦後、初台の地に仮本堂を建立されたものの、移転することとなり、昭和34年現在地に移転しました。
御住職奥様のお話では、すべての墓石を移転復元し遺骨も丁寧に改葬されたそうで、いまでは移転後55年が経って、元々ここにあると思っている檀家の方々も多いそうです。
ご本尊様は、不動明王像で、江戸城から下賜されたものとのことですが、秘仏で公開されていませんので、本堂(右上写真)の外から拝観させていただきました。
また、江戸時代の弘法大師像もあるようですが、寺務所前の大師堂の弘法大師像(右写真)に読経させていただきました。
昭和20年の空襲で焼失したものが多く、江戸時代の物はほとんどないとの奥様のお話でしたが、お寺入り口に庚申塔が2基建っていました。写真左手の2基の像が庚申塔です。
「長楽寺」は真言宗豊山派のお寺ですが、奥様とお話をしていると私が檀家となっているお寺の前住職とお知り合いであることがわかり、不思議な縁を感じたお参りとなりました。
赤印が「長楽寺」です。

