「多聞院」は、京王線「千歳烏山」駅から徒歩で約13~14分の世田谷区北烏山にあります。「千歳烏山」駅を降りて北に向かいます。
駅前商店街を通り抜け、甲州街道を横切り、住宅街を通り、中央高速道路をくぐると、この一帯は、いわゆる「烏山寺町」と呼ばれる地区で、「多聞院」はその最南部にあります。
烏山寺町ができたのは、大正11年の関東大震災の後、浅草・築地・本所等で焼け出された22の寺院が集団移転したものが始まりで、その後4ヶ寺が移転してきていて、現在では、この界隈に26の寺院があります。
中央高速道路の下に、烏山寺町の全体を描いた地図があります。
それによると、大正13年に4ヶ寺、大正14年に1ヶ寺、大正15年に3ヶ寺、昭和2年に7ヶ寺、昭和3年に7ヶ寺、昭和4年、昭和12年、昭和14年、昭和24年に、それぞれ1ヶ寺移転しています。
最後の昭和24年に移転してきたのが、「多聞院」」です。
多聞院は、正式名称を金剛山多聞院悲願寺という真言宗豊山派に属する寺院で、御本尊は地蔵菩薩です。お寺の由緒書があるか尋ねたところ「特に作っていません」ということで、詳しい歴史はわかりませんが、多聞院は、寛永5年(1628)、述誉上人が開山、角筈村名主の傳右衛門の先祖である與兵衛という人物が開基となって、新宿角筈村に創建された寺院です。
その後の昭和20年5月に空襲のため焼失してしまいました。戦後、東京都が計画、実施した新宿駅周辺の復興を目指す区画整理事業の要請を受けて、昭和24年に現在地へ移転しました。
境内右手に立派な石造涅槃図があります。これは、奈良の壺坂寺より寄贈されと記されています。
御住職夫人のお話による先々代御住職が壺坂寺の御住職であった縁で壺坂寺からおくらたとのことです。
涅槃図の脇にある石碑によると、壺坂寺には、長年の救ライ活動に対する感謝の意を込めて、インド政府から高さ20メートル、重さ1200トンの大観音石像が贈られ建立されているそうです。
この石造涅槃図は、先々代住職のために、当時の壺坂寺住職が、特にインド政府に依頼して制作されたものだそうです。
石材はインドのデカン高原産の名石を使い、インドの文化勲章受章者マイソール大学名誉教授シェノイ博士が中心になり南インドの彫刻師たちにより制作されたものとのことです。
石造涅槃図に並んで仏足石がありました。脇の説明板には次のような説明がされています。
仏足石は、お釈迦様が説法する際に立った岩や石に残ったお釈迦様の足の裏の相の跡をそのまま石に刻んだものです。人々はそれを有り難く拝みました。
お釈迦様の像が作られるようになったのは、その数百年後のことで、仏足石は、仏像の「基」となるものだそうです。
赤印が多聞院です。

