そこで、いろいろな本に書かれていることを引いて書いていきます。
将軍の普段の朝食は、一の膳だけで、平椀に汁・香の物・肴程度だったようです。
昼食も朝食と同じようで、夕食は品数が少し多くなったようです。
まず、ご飯ですが、現在我々が食べているご飯を将軍が食べていたわけではありません。
将軍が食べていたご飯は、「蒸飯(むしいい)」と言います。
将軍が食べていた「蒸飯」は、ザルに入れた米を沸騰した湯に漬けてから、釜に移して蒸したものです。
私達は、餅を搗く際に、もち米を蒸しますが、普通のご飯(うるち米)は蒸しません。
もち米は、粘りがでてきますので、それなりにおいしいと思われますが、うるち米を蒸したら、バサバサしたものになり、それほど美味しいとは思われません。
魚介類は、毎食出されたようです。
特に朝食には鱚(キス:下写真)がつきものでした。
鱚は、魚偏に喜ぶと書くのでメデタイ魚とされていたので、将軍の食膳を飾りました。
また、三田村鳶魚は「鰻の蒲焼は、油気の抜けたコソコソするものを時々食べた」と書いた後に、落語の「目黒のさんま」では、目黒で食したさんまの味が忘れられない3代将軍家光(らしき人物)が、江戸城に戻り秋刀魚を出すよう命じると、すっかり油気を抜いた秋刀魚でてきたという話は、この辺りの消息を伝えたものであろうと注意書きしています。
お酒は、13代将軍家慶を除いて、あまり飲まなかったそうですが、出されるお酒は御前酒といって真っ赤なお酒で、いやなにおいがしてうまくなかったようです。
普通のお酒を飲んだのは、15代将軍慶喜だけだったそうです。
将軍の食膳に上がらなかったものがあります。
江戸検一級を受けられる方は、テキスト 「博覧強記」に載っています。
「日本食物史(下)」に御台所の食膳に上がらなかったものとして記載されています。
「博覧強記」とほぼ同じ内容です。
御台所の食膳に上らなかったものは、将軍の食膳にも上らなかったと思いますので、ここでは、「日本食物史」に書かれているもの書きあげておきます。
1、蔬菜・藻類
ねぎ、にら、にんにく、らっきょう、つく芋、ふじ豆、鞘えんどう、わかめ、あらめ、ひじき
2、魚類
このしろ、こはだ、さんま、いわし、まぐろ、ふぐ、むつ、あかえい、いな、
なまず、どじょう、鮒、干物類
☆「このしろ、こはだ」(右写真)は、出世魚で成長するにつれて、シンコ、コハダ、ナカズミ、コノシロと名前が変わります。
現代では、お寿司屋で「こはだ」を頼む人は結構多いと思いますが、江戸時代には「このしろ」は、「この城」を食うということから武士には嫌われていたと言います。
こうした事情で、将軍の食膳に上がららなかったものと思います。
3、貝類 かき、あさり、赤貝
4、鳥類 鶴、雁、鴨のほか一切使わない。
5、獣類 兎を用いるだけで、他は一切使用しない。
6、水菓子 梨、柿、蜜柑などを用い、 水瓜、瓜、桃、林檎、李などは見るだけで食べない。
7、調理では、てんぷら、油揚、納豆などはありませんでした。
こうして出来上がった将軍の食事は、御膳奉行が毒見をしてから「囲炉裏の間」であたためなおして、将軍に出されました。
そして、御相伴役の小姓が、また毒見をした後で、はじめて将軍が食べたようです。