昨日の「霞が関赤坂散歩」はスマホからアップしたものです。
スマホからのアップは大変ですね。
今日は、少し時間がとれたのでパソコンに向っています。
昨日の「軍師官兵衛」は、官兵衛が結婚し家督を継ぐことがメインでした。
そこで、黒田官兵衛の正室光(てる)のお話です。
光は、播磨国志方城主・櫛橋伊定(これさだ)の娘で、天文22年(1553)生まれです。
櫛橋家は、御着城主小寺政職と親戚関係にあり、光は、小寺政職の姪と言われているようです。
永禄10年(1567)に二人は結婚することになりました。
官兵衛22歳、光15歳でした。
二人を結びつけたのは、「軍師官兵衛」で描かれていたように、小寺政職の考えによるもののようです。
小寺政職とすれば、重臣の黒田家と櫛橋家を結びつけ、小寺家の安泰を計ろうとしてと言われています。
しかし、小寺政職の意向だけでなく、櫛橋伊定の思惑もありました。
もう22歳となっていた黒田官兵衛の能力の高さは小寺家中の中でも評判だったようです。
櫛橋伊定自身も官兵衛を高く買っていたともいいます。
こうした評判を受けて、櫛橋伊定も官兵衛と姻戚関係を結んでおくことが得策と考えて、娘を嫁がせることを望んでいたようです。こうしたことは、櫛橋伊定が、官兵衛に「赤合子(ごうす)の兜と銅丸具足」を贈っていることをみてもわかります。
この櫛橋伊定からもらった「赤合子(ごうす)の兜と銅丸具足」は現存しています(右写真)が、「軍師官兵衛」のタイトルバックに出ている鎧兜が、これではないかと思っています。
なお、合子というのは蓋つきのお椀のことだそうですが、確かにお椀のかたちをしています。
黒田官兵衛は、側室をもたなかったことでも有名です。
ですから、光一人を生涯愛し続けたということになります。
家系を維持する上から多くの男子を得るため側室を持つのが普通であった当時としては大変珍しいことです。
幸いにもこの二人の間には二人の男子が授かりました。
福岡藩初代藩主となる黒田長政と熊之助です。
結婚の翌年には、松寿(しょうじょ:後の長政)が誕生します。

