御府内八十八ヶ所の札所は、東京23区内にあります。
しかし、唯一遠方にあるのが、77番仏乗院です。
仏乗院は、神奈川県秦野市の丹沢山地の入り口にあります。
秦野は、小田急線で急行でも新宿から1時間ほどかかります。
そのため、埼玉に住んでいる私にとっては、一日がかりの日程になるため、なかなか行きにくい場所です。
そこで、どうしても、最後の方になりがちです。
しかし、昨日は、思い切って行ってきました。
仏乗院は、もともと秦野市にあったわけではありません。
港区三田のいわゆる三田寺町の一画にありました。それが、昭和62年(1987)に秦野市移転しました。
仏乗院には、小田急線秦野駅から蓑毛行きのバスに乗り、終点蓑毛まで乗ります。
約25分でした。
バスを降りて、県道から右に金目川沿いに坂道をのぼっていきます。
右写真は、バスを降りた場所から写した入り口です。
写真左手に金目川にかかる蓑毛橋が写っていますが、その手前の道を右手に上っていきます。
その坂道500mほど歩いたところに割烹料理「蓑庵」があります。
その右脇に仏乗院へ入る小さな山門があります。(右写真)
その山門を入りますと、右手にお稲荷様があり、その先に御本堂があります。
右最上段写真は、山門を登り切った場所から写した仏乗院の本堂です。
山腹に建てられているため、本堂に上る階段は急階段ですが、その本堂の立派なのに驚きました。(右下写真)
仏乗院がいつ開創されたからははっきりしないとのことですが、江戸時代の初めに八丁堀に創建されました。
その後、八丁堀から三田寺町に移りました。
三田寺町には、八丁堀が大名屋敷や幕府役人(奉行所の与力同心と思われる)の屋敷になったため、八丁堀から移転してきたお寺が多くあります。
仏乗院も同様な事情があったものと思われます。
その仏乗院が、なぜ、秦野市移ることなったかですが、先代御住職の奥様のお話では、バブル期に、土地を売ってほしいとのお話があったのがきっかけだったそうです。
当初は当然難色を示したものと思われますが、総代の方たちとの相談の結果、移転を決めたとのことです。
仏乗院は、祈願寺であったため、遠方への移転も検討可能であったため、たまたま、現在地の売却の話があり、秦野に決定したとのことでした。
秦野に移転して、約30年になるとのことでした。
仏乗院の、ご本尊様は、千手観世音菩薩様です。
この仏様の製作時期ははっきりしないとのことですが、秘仏とされていて、5年に一度御開帳があるとのことです。
また、御前立のご本尊様も秘仏となっていて、こちらも年に一度のみ御開帳されるとのことでした。
さて、仏乗院の手前にある割烹「蓑庵」ですが、現在は閉店していますが、仏乗院が経営していたそうです。
もともと、仏乗院のある現在地は、「蓑庵」の敷地だったようです。
そして、蓑庵の売却の話があり、それを仏乗院が購入したという事情のようです。
「蓑庵」は、おそばが名物でしたが、そばを打っていたのは先代ご住職の奥様だったようです。
その奥様が、腰を悪くしたため、やむをえず「蓑庵」を閉店したとのことでした。
仏乗院のある場所は丹沢山地と聞いていたので、もっと山深い場所からと思っていましたが、バス便もそれほど悪くなく、道路も舗装されていて歩くのにも支障ないところでした。
法事が終了して、節分の準備中とのことでしたが、先代御住職の奥様に丁寧にご対応していただき、いろいろなことを教えていただきました。
奥様大変ありがとうございました。