「桜田門外の変」については、このブログの中で過去に書いているので、そちらをご覧ください。
桜田門外の変(八重の桜 第5回「松陰の遺言」)
警視庁前の説明の後、国会前庭にある「桜の井戸」をご案内しました。
そこで、今日は、「桜の井戸」のご案内です。
なお、国会前庭は「まえにわ」ではなく「ぜんてい」と読みます。
国会前庭の外側の道路(内堀通り)沿いに「桜の井戸」があります。
ちょうど高速道路のトンネルになる部分の上部になります。この「桜の井戸」は、 昭和43年道路工事のため交差店内から原形のまま10メートル離れた現在地に移設復元されたものですが、江戸時代には彦根藩井伊家上屋敷の表門の脇にありました。
彦根藩井伊家の屋敷は、元は加藤清正の屋敷でした。
そのため、「桜の井戸」は加藤清正が掘ったと伝えられています。
その後、加藤家が2代目忠広の時に改易され、その跡を井伊家が拝領しました。そして幕末まで井伊家の上屋敷でした。
「桜の井戸」には三本の釣瓶を下ろし、一度に桶3杯の水が汲め、屋敷前を通る通行人に豊富な水を提供し、重宝がられたといいます。
「桜の井戸」は浮世絵にも描かれています。
歌川広重が描いた「名所江戸百景」のうちの「外桜田弁慶堀糀町」という浮世絵に描かれているのです。
「外桜田弁慶堀糀町」は、安政3年に描かれたもので、桜田門外の変の4年前の、井伊家上屋敷の表門の近辺の様子が描かれています。
これを見ると、3本の釣瓶井戸がわかりますし、表門の脇に、この井戸があったこともわかります。この「外桜田弁慶堀糀町」は、桜の井戸」の外に、いろいろなものが描かれています。
順に説明しますが、「桜の井戸」の手前に小屋があります。
また、中程右手に柳の木が描かれていますが、このそばにも小屋が描かれています
なお、柳のそばのお濠端には「柳の井戸」と呼ばれる名水がありました。
この小屋は、辻番所といって、警備したり通行人の中に不審者がいないか見張ったりする番人が詰めていた詰所です。
江戸切絵図で確認してみると、確かに辻番所が、「桜の井戸」と「柳の井戸」のそばにあります。
また、右手奥には、火の見櫓が描かれています。
江戸切絵図を見ると、半蔵門外に定火消屋敷があります。
定火消屋敷には火の見櫓がありましたので、この絵に描かれている火の見櫓は定火消屋敷の火の見櫓だと思われます。
このように見てくると、歌川広重は、当時の姿をかなり正確に描いてくれているように思われます。
とすると、「桜田門外の変」が起きた頃の、井伊家上屋敷の表門は、桜田門の方を向いていて、赤く塗られていた門であるということも想像がつきます。
井伊大老は、この表門をでてわずか300~400mの所で暗殺されたことになります。
赤印が「桜の井戸」のある場所です。

