今日は、「憲政記念館」のご案内です。
もともと、ここに昭和35年に、「憲政の神様」と呼ばれる尾崎行雄を記念して、尾崎記念会館が建設されました。その後これを吸収して、憲政記念館は、昭和45年にわが国が議会開設80年を迎えたのを記念して、議会制民主主義についての一般の認識を深めることを目的として設立され、昭和47年に開館しました。
憲政記念館には、記名するだけで、無料で入館できます。
館内には、1階には、議場体験コーナー(右写真)などがあります。2階には、「憲政の歩みコーナー」があったり、「永年在職表彰元議員肖像画」が掲示されたりしています。
「憲政の歩みコーナー」では、明治維新から帝国議会を経て現在の国会に至る憲政の歩みを、文書類をはじめ、関係資料・写真などで見ることができます。
この中には、いろいろな資料が展示されていますが、私がいつも良く眺めるのが、「薩長同盟裏書(複製)」です。
これは、薩長同盟の合意ができた際に、長州の桂小五郎から、確認を求めた手紙の裏側に、坂本龍馬が、薩長間の合意内容について確認した旨を朱書きしたものです。
さて、ここは、もともと「尾崎記念会館」でもありましたので、中庭には尾崎行雄の銅像があります。そこで、尾崎行雄の経歴について書いておきます。
尾崎行雄は、神奈川県の津久井(現在の相模原市)に生まれました。
そして、幼少期は、三重県の伊勢市で育ちました。
大きくなり東京に出て、慶応義塾などに学んだ後、報知新聞の論説委員を経て、政治の世界に進みました。
そして、尾崎行雄は、明治23年に行われた第1回総選挙に三重県から出馬し当選しました。
以後、尾崎行雄は昭和27年の総選挙が行われるまで25回連続当選し、昭和27年選挙で初めて落選し、翌年昭和28年に亡くなりました。96歳でした。
当選25回、議員勤続63年、95歳まで議員在職は、それぞれの日本記録だそうです。
尾崎行雄の業績で忘れてはならないのが、アメリカに桜を送ったことです。
ワシントンのポトマック河畔の桜は大変有名ですが、この桜の苗木をおくったのが、当時東京市長であった尾崎行雄です。
尾崎行雄は、アメリカ大統領タフト夫人が、日本の桜をワシントンのポトマック河畔に植えたいと希望していることを知りました。日露戦争の際に、日本に対して好意的であったことに感謝していた尾崎行雄は、明治42年に苗木3000本を贈りました。
しかし、アメリカに贈られた苗木は、害虫が発見され、すべて焼却処分とされました。
残念に思った尾崎は、興津園芸試験場で育成してもらった3000本の苗木3000本を再度アメリカに贈りました。
明治45年(1912年)のことです。
平成24年(2012年)には寄贈100周年を迎え、盛大に100周年記念事業が行われました。
日本から贈られた桜のかわりにアメリカから贈られてきたのがアメリカハナミズキです。
こうした縁からだと思いますが、 国会前庭には、桜とアメリカハナミズキが数多く植えられています。右写真は、そのうちの「関山」です。
なお、当時は、衆議院議員と東京市長の兼務は可能でした。尾崎行雄は9年間東京市長を勤めました。憲政記念館内には、尾崎行雄のコーナーである「尾崎メモリアルホール」もあります。
その中に『ワシントン市から贈られた鍵」も展示されています。
昭和25年、尾崎行雄91歳の時に高齢にもかかわらず、元駐日大使クルーの招きを受けワシントンを訪れ元気に育った桜並木を見ました。
尾崎を迎えたワシントンでは、市中を挙げて大歓迎をしました。
右写真の鍵が、尾崎の好意に敬意を表し尾崎にワシントン市から贈られた鍵です。
赤印が「憲政記念館」です。

