今日は、「松江藩上屋敷跡」をご案内します。
青山通り沿いに、衆議院議長公邸と参議院議長公邸が並んでいあります。
合わせて1万1942坪あるそうです。
ここに、江戸時代、松江藩松平家の上屋敷がありました。 松江藩松平家の初代松平直政(なおまさ)は、徳川家康の孫で、越前福井藩主結城秀康の三男になります。
結城秀康は、徳川家康の二男で、2代将軍の徳川秀忠の兄にあたります。
秀康は秀吉のもとへ養子(実際は人質)として差し出され、二人の名前をとって秀康となづけられました。
その後、秀康を北関東の名族結城氏の養子となって結城秀康と名乗りました。
関ヶ原の戦いの後、越前一国を拝領しましたが、越前松平家は、秀康は将軍秀忠の兄であったため御三家などの序列とは別格の待遇を受け、制外の家とされました。
この秀康の三男の松平直政が、寛永15年(1638)、松江藩主となり、以後明治維新まで、越前松平家10代が続きました。
特に7代藩主の治郷(はるさと)が有名です、治郷は号を不昧(ふまい)といい、茶人としても有名です。
現在、松江は文化都市と呼ばれますが、その基礎を作ったのは、松平不昧公であると言われています。
衆院議長公邸内には、徳川家康が駿河城で使っていたものを松平直政が拝領し、ここに移して使っていたと伝えられている井戸枠が残っているそうです。
「徳川家康駿河城内居 金水輪 慶長十三年戊申四月大安日」と刻印された井戸枠は、 一枚岩をくりぬいた石製の枠で大きさは二メートル四方。重さ約2トンあるそうです。
井戸は明治以降、閑院宮家があった昭和まで使用されていたといわれますが、地下鉄やビル工事、議長公邸の改築もあって現在は井戸枠だけが残っているそうです。
この井戸枠を見るために、議長公邸に入れるのか衆議院事務局に問い合わせましたが、一般参観は受け付けていないということでした。
衆議院議長公邸の正門を赤坂見附交差点に向って進むと歩道橋手前の左手壁面に「東京女学館発祥の地」のプレートが埋め込まれています。小さなプレートですので、注意してみていないと見落としてしまいそうです。
東京女学館の歴史は、120年余りにもなります。
明治19年に内閣総理大臣伊藤博文が創立委員長となり、「女子教育奨励会創立委員会」がつくられました。創立委員は、伊藤博文の他に、澁澤栄一、岩崎彌之助、外山正一(東京帝国大学総長)などがいました、
翌年発足した女子教育奨励会が、明治21年に松江藩上屋敷跡に設立したのが東京女学館です。
東京女学館は、その後、虎の門の旧工部大学校を経て、関東大震災後、広尾に移転し、。現在は、小学校から大学までそろえた学校法人となっています。
赤印が衆議院議長公邸です。 青印の場所の石垣壁面に「東京女学館発祥の地」のプレートがあります。

