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これらについては、次回書くことにして、今日は、「軍師官兵衛」について書きます。
岐阜城に着いた黒田官兵衛は、いよいよ織田信長に拝謁することになります。
柴田勝家、明智光秀らそうそうたる重臣が居並ぶなかで、黒田官兵衛が、織田方に加勢する旨を申し述べます。
これに対して、柴田勝家、明智光秀らが問いただします。それついて官兵衛が逐次答えていっていると、無言でそのやりとりを聞いていた織田信長が、いきなり立ち上がり官兵衛に近づき、腰につけていた佩刀を官兵衛に与えます。
この佩刀が「圧切(へしきり)」と呼ばれる名刀です。
この刀は、南北朝時代の刀工長谷部国重によってつくられた刀で、現在は福岡市博物館が所蔵していて、昭和28年3月国宝指定されています。
この名前の由来ですが、信長に仕えていた茶坊主がある時に無礼を働いた時に、信長がこの刀を持ち追いかけ、膳棚の下に隠れた茶坊主を隠れた棚ごと圧し切りました。
その切味に驚いた信長自身が「圧切(へしきり)」という銘がつけて、佩刀としていた刀です。

そこに、秀吉が遅れて現れます。これはわざと遅れてきたようです。
そして、秀吉が播磨攻めの大将として信長から指名されます。
こうして、官兵衛と秀吉の関係ができるのです。
信長との拝謁が無事済んだ後、秀吉から岐阜城下を案内され、その後、秀吉から長浜に招待され、建設途上の長浜を見物します。
そこで、秀吉の妻おねにも面会します。
こうした秀吉との交流のなかで、人を殺さずに戦に勝つことが大切だという点で一致したのでした。
この出会いから、官兵衛が、秀吉の「戦わずして勝つ」戦いに取り組んでいくことになるのです。

