「酢」は、醤油や味噌と異なり、アジア独自の調味料ではなく、世界各地で作られてきた歴史があります。
「酢」は英語ではvinegarと言いますが、これはフランス語の酢を意味する vinaigre (ビネーグル)からきていますが、vinaigreは vin(ワイン)+aigre (酸っぱい)つまり〔酸っぱいワイン〕に由来しています。つまり、酒が酸化したものが「酢」です。
そのため、「酢」は酒が造りはじめられたのとほぼ同時期に造られるようになったと考えられています。
紀元前13世紀のモーゼの書にも出てきているそうですし、歴史家へロトドスや哲学者アリストテレスの書物にも出てくるそうです。
日本の「酢」は、応神天皇のころ、中国から酒造りの技術と前後して日本に伝来したといわれています。
主に和泉(いまの大阪府堺市付近)に伝わったとされていて、以後、和泉は江戸時代まで酢の代表的な生産地となり、そこで生産される酢は「いずみ酢」とよばれました。
藤原京や平城京から出土した木簡に「酢」という文字が記されているようです。
「万葉集」の巻16には「酢」という言葉が登場する次の和歌があります。
醤(ひしほ)酢に 蒜(ひる)搗き合(か)てて 鯛願ふ 我れにな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの)
日本人の食生活は、奈良時代に肉食が禁じられたために魚介類が最高の素材として料理文化が発達していきます。 また、古代の日本の首都は、奈良・京都といった内陸部にあり、生で食べられる魚として、季節に関係なく新鮮な魚である川魚(特に鯉)が貴重なものとされてきました。
「酢」は、それらを食べるための調味料として使用されました
時代が室町時代に進むと、 生魚を細く切って酢で和えたものが「鱠(なます)」と呼ばれるようになり、「酢」は調理にも使われるようになってきます。
また「さしみ」も登場し、タデ酢などの合わせ酢にも使われるようになってきます。
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江戸時代になると醤油の完成により、魚介類の調味料は、酢から醤油へと変わっていきます。
庶民の食文化が発達したこの時代、醤油、味噌とともに酢も庶民の食生活にも普及してきます。それまでのタデ酢、ショウガ酢、カラシ酢、ゴマ酢のほかに、味噌酢、二杯酢、三杯酢など味噌や醤油との「合わせ酢」が工夫され増えていき、お酢が料理に溶け込んでいくようになります。
江戸時代には、「酢」を利用した食文化が大きく花開くことになります。
すなわち「握り寿司」です。
「寿司」はもともと、発酵保存のために古来より作られてきた「なれすし」ですが、江戸時代になると、酢を使うことが一般的になり、「早寿司」と総称される寿司が考案されます。
そして、文政年間に酢飯と生魚を合わせて握る「握り寿司」が考案されました。
この「握りすし」には、三河で考案された「粕酢(かすず)」が欠かせないものでした。
「寿司」は、その後、大きく発展し、現在では、全世界に広がり、日本食の代表となっていいますが、その発展に「酢」は大きな貢献をしているわけです。

