そこで、今日は京都の老舗めぐりの2回目として萬福寺の「普茶料理」のご紹介をします。

禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていました。 日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って来日しました。
宇治でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺」と名付けました。
萬福寺の伽藍建築・文化などはすべて中国の明朝様式です。

正面に掲げられている「大雄寶殿」の額(右写真)は、隠元禅師が自ら書いたものです。
この萬福寺で、普茶料理を食することができます。
普茶料理は、隠元禅師により黄檗宗と一緒にもたらされた中国風の精進料理です。
普茶とは、茶を普(あまね)くするということで、禅宗で茶礼という席で全山の人が集まってお茶を飲みながら意見交換するところから生まれた言葉だそうです。
この儀式では、酒を用いず茶を酒の代用としたことから「茶」という言葉が用いられたようです。

普茶料理の昔の図を見ると、一つの卓に四人が座り、卓上の一皿一皿に四人分の料理が盛ってあり、それを取り回して食したようです。
そのため、5千円と7千円コースの普茶料理は、本来の普茶料理のスタイルで食するようです。
そのため、本来は4人以上で食しますが、萬福寺では2名以上で予約可能とされていますが、予約は3日前までにしないといけません。

山門で普茶弁当を申込んでいますと申し出て、拝観料を支払い、入山します。
境内の諸堂をつなぐ回廊を歩いていくと斎堂前には開梆(かいぱん)という巨大な木製の魚が吊り下げられています。これは叩いて食事や法要の時間を知らせるためのものであり、木魚の原型と言われています。
食事をする場所は、大雄寶殿の奥にある法堂(はっとう)の東にある黄龍閣でいただきました。
先客一組の方がいらっしゃいましたが、その二人の食事が終わると、私達の貸切でした。

ひょうたん型をしたご飯が左下にあり、左上はゴマ豆腐です。右上は揚げ物、右下は味噌田楽、豆腐の味噌漬けなどが盛り合わせてありました。
「普茶弁当」の中で印象に残った料理をあげると次のようになります。
豆腐の味噌漬は、スモークチーズのような香りの燻製や食感がして、とても豆腐とは思えませんでした。
蒲鉾に見立てた山芋は、見た目には蒲鉾そっくりですが、食べると山芋そのものでした。
天麩羅の中に梅干しの天麩羅がありましたが、梅干しはあまり塩辛くなくて甘味のあるものでした。
「ひょうたん」型の漬物がありましたが、まさに「ひょうたんの漬物」でした。