「上林春松本店」は、永禄年間の創業以来450年間の歴史を誇る老舗です。
その上林春松家の長屋門を利用したのが「上林記念館」です。
「上林記念館」となっている「長屋門」は、宇治茶師の家の独特の建築物で、元禄11年の宇治の大火災で類焼後再建されたもので 250年余の年月を経ているそうです。
欅材を使用しており、大正3年に大修理された後、昭和52年より約1年間の工期で当時のまま 修復され、「上林記会館」とされました。
間口25間、面積14.3坪あります。
上林記念館には、秀吉・利休にまつわる書状や茶道具、ルソンなどの古色の茶壺(右写真)、製茶道具、御茶壺道中に使われた駕籠などが展示されています。
上林家は、もと丹波上林郷(京都綾部市)に居住する土豪でした。
永禄年間に、初代久重が宇治に移住し、茶業に携わりました。
久重の4人の子息はそれぞれ一家を興し、上林久茂、上林味ト、 上林春松、上林竹庵となり宇治茶業界を代表する茶師となりました。
桃山時代には豊臣秀吉に重用され、茶頭取として上林一族に 宇治茶の総支配を命じ、また、宇治郷の代官にも任じた。
3代将軍家光の時代になると、将軍家御用のお茶の調達を 宇治茶師に当らせ、茶壺の往還には豪華な行列「茶壺道中」 をもって行なわれました。
明治維新後は、宇治茶師の多くの家が相次いで転、廃業した中で、 上林春松家は唯一宇治茶師の後裔として現在に至るまで茶業を営んでいる家だそうです。
御茶師には、御物御茶師・御袋御茶師・御通御茶師と呼ばれる 三階級があったそうです。
御物御茶師は11家あり、朝廷と将軍の喫する茶を調達しました。そのため御物御茶師は、 宇治の多くの 御茶師のなかで最高の格式をもつものとされていました。
9家あった御袋御茶師は、歴代の将軍が、江戸城内の紅葉山東照宮に 奉納する袋茶を詰める役割を担っていました。
御通御茶師は、将軍家が一般に使用する多量の茶を納入する役割をもっていて、 幕末には13家ありました。
各茶師は、それぞれが別個の仲ケ間を組織しており、「御茶師三仲ケ間」と呼ばれました。
この茶師の中で、上林春松家は、御物茶師に入っており、幕末の書類では2番目にランクされていました。
この茶師のランク表は、記念館の玄関に貼ってあり、14代当主の上林春松さんが丁寧に説明してくださいました。
上林春松さんと名刺交換さえていただきましたが、戸籍上も「上林春松」と聞いて驚きました。
最近は先祖代々の名前を襲名するのは難しくなっていると聞いていますので、そのことを伺うと、「手続きは大変でした。しかし、上林春松家の歴史を物語る史料を提出して理解してもらいました」とのお話でした。
「上林記念館」の脇に、「上林春松本店」の直営小売店があります。
この直営店舗は、平成22年にオープンしたものです。
意外なことなのですが、「上林春松本店」は、御茶の製造販売を長くやってきましたが、直営の店舗を運営するのは初めてのことだそうです。
老舗の味が直に味わえて、私達にとってはありがたいことです。
店内には、上林春松本店で製造された抹茶・玉露・かぶせ茶・煎茶が数多く販売されていました。
玉露だけでも、右写真のように5種類販売されていました。
店内で出されたかぶせ茶は大変おいしいものでした。
赤印が「上林記念館」です。