問題は、 こちらをご覧ください ⇒ 「江戸の食文化」第四回模擬試験問題
今回は、「幕末単身赴任 下級武士の食日記」からの出題でした。
新書版ですので、しっかり読んでいれば、かなりの点数が採れたと思います。
1、 ②桜田門外の変
酒井伴四郎が、江戸勤番となったのは万延元年5月1日に和歌山を発ち、5月29日に江戸に着きました。
安政7年3月18日に改元され万延元年となっていました。
安政7年3月3日に井伊大老が暗殺された桜田門外の変が起きたことも改元の理由と言われています。
参照25ページ
2、 ④衣紋方
酒井伴四郎は、叔父の宇治田平三とともに江戸に行きましたが、叔父は膳奉行格衣紋方で、殿様の装束に関する責任者で、伴四郎にとっては上司でもあり師匠でもあります。
伴四郎は、叔父様の指導を受けながら、着付けは装束に関する稽古をするのが仕事でした。
参照51ページ
3、 ③姥が餅
中山道草津宿の名物餅は姥が餅でした。
姥が餅は、上に白砂糖をのせた指頭大のあんころ餅で、南近江の守護大名六角義賢に幼児を託された乳母が生計のために売りはじめたものと言われています。
家康が讃え、芭蕉が食べ、蕪村が詠んだと言われています。
参照33ページ
4、 ①なす
114ページに載っている表は、よく覚えた方がよいと思います。
江戸検に出題されやすいデータが載っていると私は思っています。
以前の江戸検一級で「酒井伴四郎が最も回数多く食べた魚は何か」という問題が出題され、私は不正解だった苦い記憶があります。
回数の多少は当然ですが、いくら使用しているかなども覚えておいたほうがよいと思います。
参照114ページ
5、 ③焼き豆腐
問4のコメントを参照してください。
参照88ページおよび114ページ
6、 ②あんころ餅
「金龍山浅草餅本舗」の名物は、出題した通り「浅草餅」で、江戸時代の諸々の本に残されています。
しかし、現在の「金龍山浅草餅本舗」の名物は「あげまんじゅう」で、「浅草餅」はほとんど製造されていません。
仲見世で、お店をのぞいて、「浅草餅」が販売されていたら、迷わず買うことをお勧めします。貴重品です。
参照138ページ
7、 ③大島桜
長命寺の桜餅は、長命寺の門番をしていた初代山本新六が桜の葉っぱの有効活用策として考案されたと伝わっています。
大島桜の葉は良い香りがありますが、塩漬けされると一層よい香りとなり、桜餅の葉としては大島桜の葉が利用されています。
参照137ページ
8、 ①汁粉
汁粉売りについて、守貞謾稿(「近世風俗誌(一)」309ページ)に、「三都ともに、この買を正月屋と異名す。 行燈にも正月屋と書ける者多し」と書かれています。
酒井伴四郎は、夏でも、お汁粉を食べていたようですね。
参照111ページ
9、 ②そうめん
七夕にそうめんを食べる風習は、古くからあり、平安時代の「延喜式」には、「そうめん」の原型といわれる「索餅(さくへい)」が、七タの儀式に供え物の一つとして供えられたと記録されているそうです。
これは、中国の故事に由来したもので、伝説の王の子供が7月7日に亡くなり、霊鬼となって、人々に熱病を流行らせました。そこで、熱病を防ぐために、その子供の命日に、子供が好きだった索餅を供えてお祭りするようになったといいます。
参照178ページ
10、 ④麹町
「おてつ牡丹餅」は、胡麻・飴・黄粉の三色の牡丹餅でした。
近くには、もう一つの名物で江戸のおける「どら焼き」の元祖ともいわれる、「助惣」があり、川柳に「助惣とおてつ、近所でうまい仲」と詠まれました。
寺門静軒の「江戸繁昌記」には、「麹街は西郭の劇地、東西髪の如く、直に郭門を貫く。(中略)、而して食物には即ち助宗焼(すけそうやき)、於鉄牡丹餅(おてつぼたもち)、並びに名物と称す」とあります。
参照54ページ
第五回の模擬試験は、大久保洋子先生の「江戸のファーストフード―町人の食卓、将軍の食卓 (講談社選書メチエ) 」から出題します。
5月中旬には、江戸検の参考図書が発刊されるそうですが、受験される皆さんが熟読できる頃を見計らって出題しようと思っています。
江戸の食文化で、絶対はずせないのが、「寿司」「天麩羅」「鰻」「そば」です。
これらは、江戸時代は、屋台で食べるファーストフードでした。
「江戸のファーストフード」を熟読されて、「寿司」「天麩羅」「鰻」「そば」についての知識も習得されることをお勧めします。