巣鴨大鳥神社は、「巣鴨のお酉様」と親しまれている神社です。これは、幕末の元治元年(1864)に 初めて「酉の市」が立って以来現在まで「鳥の市」が続いているためです。
11月の「酉の市」には、境内一杯に熊手を売る露店がでて、参拝客で大いににぎわうようです。
この大鳥神社の鳥居の脇に、ひっそりと「子育稲荷」が鎮座しています。
現在は、巣鴨大鳥神社の方が有名のようですが、大鳥神社は、幕末の江戸切絵図には「子育稲荷」として載っています。
しかも、別当寺の感応院とともにかなりの広さをもって描かれています。この「子育稲荷」は、貞享5年(1688)に巣鴨村の新左衛門によって創建されたと伝わっているそうです。
また、子育て稲荷には、宝暦5年(1755年)に、境内に「時の鐘」が設置されていて、明治まで続いたそうです。
江戸切絵図では、「時の鐘」も描かれています。
この「子育稲荷」は、池波正太郎の代表作「鬼平犯科帳」にも登場してきますので、そのこともご案内しました。
「鬼平犯科帳」では、鬼平こと長谷川平蔵宣以(のぶため)の実母は、巣鴨の大百姓三沢家の娘園という設定になっていて、鬼平は、母の実家で17歳まで育ったという設定となっています。
三沢家は、鬼平の従兄弟の三沢仙右衛門が家督を継いで住んでいるため、鬼平も時々、巣鴨に出かけてきています。そうした中で、盗賊たちと出合い、事件を解決していく話の中で、「子育稲荷」が登場しています。
具体的には「鬼平犯科帳」の中の「女掏摸お富」(文春文庫第2巻収録)および「白と黒」(文春文庫第8巻収録)という作品に出てきます。
「女掏摸(めんびき)お富」では、かつて掏摸であり、現在は巣鴨追分の笠屋の女房となっているお富が、昔の仲間に脅されて、100両の大金を工面するために、昔やっていた掏摸を行い、100両調達できた後も、掏摸がやめられなくなり、鬼平に逮捕されるというお話です。
その主人公の女掏摸のお富が子育稲荷で籠をおりる場面があります。
ところで、「女掏摸」をなぜ「めんびき」というのですかという質問を受け、その時にはわからなかったので、その後も調べましたが現時点でもわかりません。
「白と黒」では、鬼平が子育て稲荷の門前の居酒屋で、三沢仙右衛門の家から一緒帰ってきた按摩・富の市一杯飲もうとすると、かつて平蔵が取り逃がした盗賊亀太郎が居酒屋から出てきて、あわてて鬼平が身を隠すと、亀太郎は、鬼平に気付かず富の市に按摩を頼むという場面がでてきます。江戸切絵図を横に置きながら、この子育稲荷が出てくる「女掏摸お富」と「白と黒」を読んでみると、子育稲荷以外に、「巣鴨追分」「行人塚」「枡形横町」など、かつての巣鴨をを描いた切絵図に載っている地名が多数でてきた大変興味深く読めました。
鬼平犯科帳も切絵図を見ながら読むという楽しみを知りました。
赤印が巣鴨大鳥神社です。

