今日は、その「福島家」さんの御紹介です。
「福島家」さんは、JR巣鴨駅前の白山通りを西に行くと巣鴨駅から徒歩1分程度の至近距離にあります。
有名な「とげぬき地蔵」に向かう途中、北側のアーケードの一番手前にあります。
「福島家」さんは幕末の文久元年には営業していた和菓子の老舗です。
和菓子の製造販売のほか、店舗に喫茶コーナーを併設していて、いつもお客で混雑していますが、お邪魔した日は、たまたま、席があいていて、喫茶コーナーで名物のあんみうつやところてんを銘々注文して、5代目ご主人の福島敏夫専務さんのお話を伺いました。ご主人によると文久元年に和宮が降嫁する時には既に「福島家」さんは営業していたそうです。
和宮が14代将軍家茂に嫁入りするために、京都から江戸に下った時は、中山道を通りました。
中仙道の宿場は板橋ですが、ここだけでは大勢のお供の人たちを宿泊させられないので、当時、立場(たてば)であった巣鴨の町並み調査をした際の文書が残っているそうです。
その中に、「福島家」さんの名前が「菓子商弥三郎(福島家)」として載っているそうです。
それによると、現在の巣鴨駅より南側にあったようです。その後、巣鴨にあった徳川慶喜の屋敷の表門近くに一度移転しました。
しかし、その店が、昭和20年3月10日の東京大空襲により焼失したため、現在地に移転したそうです。
「福島家」さんには、江戸時代の和菓子の雛形帳(見本帳)が残されています。
その雛形帳を見させていただきました。 雛形帳には、慶応3年の奥付があり、幕末には、利用されていたものだそうです。
東京の和菓子屋さんでも、江戸時代の雛形帳が残っているのは大変珍しいと思います。
この雛形帳は、お客様から注文をとる際に、お客様に、どういった菓子に仕上げるかを選んでいただくための見本帳だそうです、
その装丁がしっかりしているのにまず驚きました。
さらに驚いたのは、その中身です。
江戸時代のものでありながら色が非常に鮮やかなのにビックリしました。
全てで420種類ほどあるそうで、本職の絵師が書いたものだろうと専務さんはおしゃっていました。
また、おもしろいことに、雛形帳には、指の跡が残っていて、その指の跡に濃淡があるということでした。
濃い御菓子は人気があったのだろうということでした。
店舗の地下にある工場では、「練り切り(ねりきり)」の最後の仕上げ工程を見させていただきました。
工場長が鮮やかな手際で「ばら」を作り上げていき、見学者全員その鮮やかさに驚いていました。「ばら」の仕上げはスプーン一本でやっていましたが、練り切りの種類に応じて使用する道具は、「和ばさみ」であったり、「三角へら」であったりするようです。
練り切りは、白餡に 求肥(ぎゅうひ)などを混ぜて練ってつくりますが、餡は、当日に作るのではなく、前日までに作っておくそうです。
雛型帳に基づき復元しているお菓子もあるそうです。復元菓子は、練り切りの「江戸梅」「江戸桜」「江戸菊」、羊羹の「宮城野羹」が代表的なものです。
復元されたお菓子の中で「宮城野羹」は常時販売しています。こちらは羊羹です。
また、桜の時期は、「江戸桜」という練りきりのお菓子を販売しています。
右写真が復元された「宮城野羹」(写真右)と「江戸桜」(写真左)です。
共に甘さを抑えた上品なお菓子です。
福島専務さん、工場見学をさせていただきたいなどという無理なお願いをしたにもかかわず、ご親切にご対応いただきありがとうございました。
練り切りの工程を見させていただき大変勉強になりましたし、参加された皆さんも大変喜んでくれました。
本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。
「福島家」は赤印です。巣鴨駅前で、白山通りに面しています

