滝野川「三軒家(さんげんや)」は、昨日も書いたように「榎本孫八」「越部半右衛門」「榎本重左衛門」の三家です。
この三軒は、現在は、すべて廃業してしまっています。
しかし、この三軒にゆかりの種子屋は現在も残っています。
昨日ご案内した通り「東京種苗㈱」は「榎本重左衛門」の分家です。
「榎本孫八」の分家筋では、王子に「榎本徳次郎商店」があります。
また、「越部半右衛門」の分家筋として、千葉県に本社のある「みかど協和㈱」があります。
しかし、 「東京種苗㈱」の本家である榎本重左衛門家は、跡を継ぐ人がなく、平成23年に御屋敷が壊され、現在はマンションになってしまっています。
また、「越部半右衛門家」も、現在は、滝野川にはなくなってしまいました。
そうした中で、「榎本孫八」家だけが、滝野川に残っています。(右上写真参照)
巣鴨食文化散歩では、その「榎本孫八家」にお邪魔することができ、7代目当主の榎本孫久様にお話をうかがうことができました。
右写真は、玄関先でご説明される榎本孫久様とそのお話をうかがう参加者の皆様です。
榎本孫八家は、初代榎本孫八が興した種子屋です。創業時期ははっきりしません。
しかし、北区史」には「文政11年(1828)に村尾嘉陵(かりょう)によって記された『嘉陵日記』には、『滝野川三軒家、道の左に人家4.5軒あり、昔は三軒ありしかば、名にやかくおひけんかし』とあり、すでにこの時以前に三軒家という呼び名が広まっていたことがわかる」と書かれていて、江戸時代後期の文政年間より以前に創業したと考えられています。
榎本孫八家は、大正半ばに帝国種苗ができた際に、種子屋は廃業したそうです。
帝国種苗㈱の本社は板橋駅近くの中山道沿いにあったそうです。
本家は、廃業してしまいましたが、分家「榎本徳次郎商店」は王子で事業を継続しているそうです。
この家は、もともと中山道に面して明治43年に建築されたものですが、種子屋を廃業した後に、現在地まで家を曳いてきたそうです。
母家は、出格子造り(だしげたづくり)の家で、東京種苗㈱の家と同様な造りです。
屋内には、種子屋を営業していた時代の看板が残されていました。(右写真参照)
榎本様、突然お邪魔したにもかかわらず、ご丁寧に三軒家や種子屋のお話をいただきありがとうございました。
心より感謝申し上げます。