今日は、荏胡麻油と同様に古くから利用されてきた胡麻油について書こうと思います。
胡麻は、ゴマ科に属する一年生草木で、原産地はアフリカといわれ、古代から世界各地で栽培されてきました。
胡麻という漢字は、胡は「えびす」とも読まれ西方を意味し、油が多いので「麻」の字をあてたと言われています。
その胡麻が、いつ頃日本に渡来したかははっきりしないようですが、縄文末期の遺跡には胡麻の種子が発見されているようです。そして、仏教の伝来とともに大陸から胡麻と一緒にその搾油技術が伝わり、油が採られ、灯油がつくられるようになりました。
貴重品のため、大化の改新(645)の頃の「賦役令」には、胡麻油と荏胡麻油が現物税として朝廷に献上されたことがのっているようです。
しかし食用とされたのは平安時代からといわれています。
胡麻は、最初、京都を中心とした近畿地方で栽培されましたが、それが次第に各地に広がっていきました。
奈良時代の「正倉院文書」では、尾張と豊後で胡麻が栽培されていたことがわかるそうです。
奈良時代には、胡麻油は、大変貴重なもののため非常に高価だったそうで、伊豆国では胡麻油は米の4.5倍もしたそうです。
そのため、胡麻油は、朝廷、貴族などの高貴の人だけしか食せませんでした。
平安時代の「延喜式」の中では、越中以南の、伊勢・尾張・美濃・但馬・因幡など15の国から貢出されることとなっていました。
また「延喜式」では胡麻は薬としても利用されていたことが書かれているそうです。
しかし、当時は、主に灯火用に使用され、その他、食用、薬用、工芸用に使われました。
中世から戦国時代において、京都大山崎の離宮八幡宮が中心となった搾油が行われ、油座が専売権をもっていたことは昨日書きましたが、胡麻油も当然油座の対象でした。
江戸時代になると、胡麻の栽培は 全国に広がります。元禄10年(1697)に発行された「本朝食鑑」は、胡麻について次のように書いています。
「胡麻はよく蒸して を打ちし。袋を圧し絞って、したたり落ちた油を取る。食油や灯油や雨具や塗髪に用いる。とりわけ灯油に最もよく利用している」
守貞謾稿では、半平の項で
「京阪にては半平を胡麻油揚げとなし、号けててんぷらといい、油を用いざるを半平というなり、江戸にはこの天麩羅なし。江戸にはこの天麩羅なし。他の魚肉・海老等に小麦粉をねり、ころもとし、油揚げにしたるを天ぷらという。この天麩羅。京阪になし。これあるは、つけあげという。」 (岩波新書「近世風俗史」五の105ぺージ)
と書いてあり、胡麻油が天麩羅に使用されていたことが推測できます。
現代では、胡麻油の原材料は、ほとんど輸入に頼っていて国産の胡麻はごく少量です。
胡麻油には焙煎してから搾るものと、焙煎せずに搾るものとがあります。
油の色と香りは、胡麻の煎り具合によって違います。
時間をかけて焙煎したほうが、、油の色は濃く仕上がり、香ばしい香りが強くなります。

