浜離宮は、いまでは、すっかり庭園ですが、江戸時代には、庭園だけでなく、幕府水軍の拠点でもありました。
水上バスの発着所がある地区には、江戸時代は、幕府の水軍の拠点がありました。
発着所の場所には船蔵があり、発着所の北側に船手組屋敷があり、南の端には、船の通行や船荷をチェックするための船番所がありました。
浜御殿が、水軍の基地となったのは、江戸湾では、浜御殿前面の海だけが深く、浜御殿は江戸湾口から隅田川への唯一の航路に面していたという理由があるように思います。
航路の深さは約1間だったようでした。
水上バスの発着所は、実は江戸時代の船蔵の跡を利用したものです。
水上バスは、昭和28年に、許可されましたが、水上バスの発着所をよくみると、船蔵のなごりがあります。
船を御船蔵に格納するためには、海から坂になっている必要がありますが、それが確認できるのです。
右上写真をご覧ください。右端が水上バスの桟橋ですが、石垣と地面が斜めになっているのがおわかりいただけると思います。
江戸時代を通じて水軍の基地であったことから、浜離宮は、幕末になると、幕府海軍の基地となりました。
嘉永6 年(1853) には、浜離宮に24ポンドカノン砲5門が設置されました。
慶応2年には、浜離宮が海軍所となり、ここを管理していた浜御殿奉行の職務が海軍奉行に受け継がれています。
さらに、慶応3年には築地から軍艦操練所が移転していきています。
軍艦操練所は、海軍の士官を育てる教育機関です。
浜離宮は、幕末は、のんびり遊ぶ庭園というより、有事に備えた海軍の基地だったようです。
水上バス発着所の先には、灯台跡があります。
ここには、三重県の安乗崎に明治9年に建設された木造の洋式灯台が、昭和24年に移され設置されていました。 昭和30年に横浜港に移されました。そのため、礎石だけが残っています。
安乗崎灯台は、現在は、船の科学館で保存展示されているそうです。