浜離宮には、庚申堂鴨場と新銭座鴨場という二つの鴨場があります。
このうち庚申堂鴨場は、浜離宮の中央部にあり、新銭座鴨場は浜離宮の南西隅にあります。
鴨場というのは、野生の鴨などを狩猟するための施設です。鴨場の施設があるは、現在では、全国で5ケ所しかないとのことですが、東京では浜離宮だけにあります。
その他、東京近辺では、宮内庁が持っている埼玉県越谷市の「埼玉鴨場」と千葉県市川市の「 新浜鴨場」の2か所があります。
庚申堂鴨場は、10代将軍家治が作ったもので、安永7年(1778)に作られました。
庚申堂鴨場がある場所には、鴨場となる前には、8代将軍吉宗が建てた5代将軍と6代将軍の側室三人の館がありました。
三人の側室と言うのは、5代将軍綱吉の側室であった通称大典侍(おおすけ)と呼ばれた「寿光院」、6代将軍家宣の側室で名は須免と呼ばれた「蓮浄院」、そして同じく家宣の側室で古牟と呼ばれた「法心院」の三人です。この三人の側室の館が焼失していたため、その跡地を鴨場に変えました。
庚申堂鴨場というの、この鴨場の北東側に、家宣が建てた庚申堂があったことに由来します。
11代将軍家斉は、鷹狩が大好きでしたので、ここを大いに利用しました。
家斉の浜御殿への御成は合計248回にも及び、そのうち67パーセントは鷹狩だったそうです。
また12代将軍家慶も浜御殿に99回御成になり、そのうち46パーセントが鷹狩だったようです。
しかし、ペリー来航後は将軍といえども鷹狩で遊んでいる余裕はなくなり、幕末にから明治の初めにかけて、鴨場は荒廃しましたが、明治になって新たに整備され昭和19年まで使用されました。
鴨場は、元溜りという大きな池と数本の「引堀」という引き込み水路からなっています。
元溜りという大きな池は。周囲に樹木の生い茂った土手をめぐらし、鴨たちが安心して休息できるようになっています。元溜りには、訓練された囮のアヒルが放されます。
元溜りは、樹木に覆われているため、全体を見渡せることはできません。私達はみることができるのは、引き込み水路の「引堀」です。(右二段目写真)
その「引堀」の先端には「小覗(このぞき)」と呼ばれる遮蔽物があります。(右最上段写真)
この「小覗」から、板木をたたきながらヒエやアワなどの餌が引堀に撒かれます。
(右写真は「小覗」の拡大写真ですが、右端に写っているのが板木です。)
餌が食べられるので、囮のアヒルが引堀に入ってきます。そして、アヒルの後を野生の鴨も後をついてきます。
小覗で鴨の様子を確認し鷹匠やお客様に手信号で知らせます。鷹匠とお客様は引堀をはさむようにして配置につき、小土手に片足をかけ、びっくりして逃げようとする鴨を捕獲します。
江戸時代には、鴨を捕えるのは鷹でしたが、明治になってからは叉手網(さであみ)で捕えました。
叉手網の見本も展示されていました。

