中島の御茶屋は、宝永4(1707)年に、6代将軍家宣によって建てられました。
その後、8代将軍吉宗の時代の享保9年(1724)に焼失し、天明8年(1788)家斉が再建しました。
浜御殿に来た将軍をはじめお客様が、ここで庭園の景色を楽しんだ休憩所です。
御茶屋というのは、先日も書きましたが、御茶室ではないので、お茶を喫するだけでなく、食事も摂りましたし、会話も楽しんだり、休憩もしたりして多目的に使用された建物でした。 中島の御茶屋からの眺めもよく、江戸時代には海のなたに房総を望めることができ、夕涼みや月見にも使われたようです。
また、中島の御茶屋では、将軍やお客様は、魚釣りを結構楽しんでいたようです。
御茶屋の周囲の池は、潮入りの池で、海水ですので、ボラなどの海の魚を釣りあげることもできました。
魚を釣り上げると各自がそれぞれ将軍に見てもらい、その大きさを競うこともあったそうです。
明治になり、明治天皇が第18代アメリカ大統領グラント将軍を謁見したのも、この中島の茶屋です。
その時の絵が掲示されています。(右写真参照)
中島の御茶屋も昭和19年11月29日の空襲で焼失していまいました。
現在の建物は、昭和58年に、日本宝くじ協会の支援を受けて復元されたものです。
面積は161.565㎡ 最高高さ4.545 軒高 3.333あります。
以前の屋根は杮葺でしたが、再建後は銅板葺としてあります。
また、もともと土台はありませんでしたが、再建されたものは土台があります。
使用した材木はすべて国産品だそうです。ただし、詳細は不明です。
中島の御茶屋は、現在は無料の休憩所となっていて、だれでも入ることができますし、抹茶・和菓子セット(有料)をお楽しむこともできます。
「中島の御茶屋」まで架けられている橋をお伝い橋といいます。
お伝い橋 は、宝永4年(1707)、徳川家宣によって架けられ ました。
お伝え橋から中島の御茶屋を眺めると、距離が84mあり、「建築物として識別できる限界距離95m内」であるため、「中島のお茶屋」が印象深く眺められる状況にあったと言われています。
また、「お伝い橋」と「中島のお茶屋」の間にある水面に映し出された橋と茶屋の姿は、風趣に富んでいます。
お伝い橋は、何度も掛替が行われていますが、現在の橋、は平成24年に竣工し、橋長約118メートルで高知県産の総桧造りです。
お伝い橋の中間に小さな島があります。
この小さな島は「小の字島」と言います。
島と左右に並ぶ島の形が、漢字の「小」の字になっていますので「小の字島」と呼ばれています。