松の御茶屋は、浜離宮中央の潮入りの池の脇に建っています。
松の茶屋は、建てられた年ははっきりしていないようですが、11代将軍徳川家斉により建てられました。松の茶屋の名前は、周囲に多くの松が植えられていたという説、茶屋内部の障子類のすべてに谷文晁により松が描かれていたという説があります。
この茶屋は池の近くにあり、右下写真のように眺望に恵まれているので、将軍や来客に利用されることが多かったようです。
右下写真は、松の御茶屋から中島の御茶屋方向を眺めたものです。
しかし、 昭和19年11月29日の空襲により焼失してしまいました。その後しばらく再建されませんでしたが、平成22年に1億4千万円かけて復元されました。
戦前の建物の礎石が残されていたため、その上に、当時の建物・調度と同じものを極力作るというスタンスで再建されたため、復元と呼ばれています。
通常は非公開ですが、木曜日の午後、特別公開されています。
その公開にいって内部を見てきました。松の茶屋の建築面積は、63.62平方メートル(約9.9メートル×約6.4メートル)あります。
また、建物棟高 5.234メートルだそうです。
建物の内部の間取りは、西側が10畳で、東側は13畳となっています。
公開の際には、西側が入り口となっていますが、江戸時代には、将軍たちは、東側の廊下から入ったそうです。
右上写真では、奥が東側になります。人物が立っている辺りから将軍が中に入ったそうです。
復元には、伝統技法が駆使されています。
室内には、丸窓が設けられていますが、この丸窓は、「漆の呂色仕上げ」が施されています。「呂色仕上げ」というのは、漆を塗って木炭で研ぎ出す作業を繰り返す技法です。これを繰り返しすことによって深い黒味を出すことができるそうです。
また、丸窓の周辺の壁は、「張り付け壁」という技法を用いてあります。
これは、和紙を貼った板を壁にはめ込み、黒い漆を塗った細い角材で壁に固定する伝統技法です。
この茶屋の「張り付け壁」に貼られている和紙は「泥間似合紙」といい、雁皮(がんぴに:紙の原料)に粘土を混ぜて漉いたもので、丈夫で燃えにくい紙です。
松の御茶屋周辺には、鷹の御茶屋跡(藁葺の茶屋)や燕の御茶屋跡もあります。
鷹の御茶屋跡(藁葺の茶屋)は、 寛政7年(1795)に11代将軍徳川家斉が、この庭園の鴨場で鷹狩りを行う時の休憩所として設けました。
茶屋の名前は、鷹狩りをする際の休憩所というかことに由来します。この茶屋の特徴は、鷹狩りの装束のまま休息するために、土間を広くとり、土間の中央には囲炉裏があり、 自在かぎには茶釜がかけてあったそうです。
材木も、松、杉を用いて農家の雰囲気を出すようされていたようです。
別名を藁葺の茶屋というのは、そうした田舎屋の風情から付けられたと言います。
昭和19年(1944)11月29日の空襲により焼失してしいました。
鷹の茶屋跡は、休憩所となっていますが、あちこちに礎石が残されています。
また、燕の御茶屋は、現在、再建工事中です。
11代将軍徳川家斉が建てましたが、昭和19年11月29日第二次 大戦の空襲により焼失しました。
数寄屋風で、眺望にも優れているため茶座敷として使われたようです。
この名前は、室内の釘隠しの金具の形が燕の姿であったという説と燕子花(かきつばた)
の形でその一字「燕」を取ったという説も伝わっています。
復元工事は27年3月には完了するので、来春には復元された茶屋を見ることができます。

