「江戸の食文化」は、範囲が広すぎてどう勉強したらよいかよくわからないという受検される方の声をよく聞きます。
確かにそうだとは思います。どこからでも勉強できるので、逆にどこがポイントとなるのだろうという不安となる面があるように思います。
しかし、どこからでも勉強できるからこそ今年こそチャンスだという見方もあります。
そんな様々の思いを持った受検生の皆さんの声に応えて
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さて、今回の出題は、第5回と同じく大久保洋子先生の「江戸のファーストフード」からです。正解は、月曜日にアップします。
1、江戸六上水とは、神田上水、玉川上水、青山上水、三田上水、亀戸上水、千川上水をいいます。このうち三つの上水は、玉川上水から水を分けてもらう分水でした。
それでは、四谷で玉川上水から分水されていた上水はどれでしょうか?
①青山上水
②三田上水
③亀有上水
④千川上水
2、江戸時代、酒は上方の酒いわゆる「下り酒」の品質が優れていました。しかし、これでは、江戸の金が関西に流出するため、これを防ぐ目的で、関東で上質の酒を醸造するのを奨励するため「御免関東上酒」という政策が企画されました。
それでは、この政策を企画したのは、次のうち誰でしょうか?
①徳川吉宗 ②田沼意次 ③松平定信 ④水野忠邦
3、どじょう料理の代表的なものは「柳川鍋」です。さて、この「柳川鍋」の「柳川」の由来は何でしょうか?
①この鍋を考案した人物の名前から
②この鍋がよく食べられていたのが九州の柳川だったから
③材料となるどじょうがよくとれた川の名前から
④この鍋を最初に出したお店の名前から
4、幕末の下級武士の食生活が具体的にわかる史料である「石城日記」は、ある藩の下級武士尾崎准之助(号を石城と言いました)が書いた物です。
それでは、石城は、何藩の藩士だったでしょうか
①名古屋藩 ②忍藩 ③和歌山藩 ④金沢藩
5、水戸藩徳川家では、その年に初めて捕れたある魚を将軍家に献上していました。
その魚は何でしょうか?
①鮭 ②鮎 ③鮟鱇(あんこう) ④生鱈
6、「豆腐百珍」は、大ベストセラーとなりました。これは庶民的な豆腐を食材にして100もの料理を並べたことにありますが、さらにその料理をランク付けしたことも読者の人気を呼びました。
それでは、豆腐百珍では、豆腐料理は何ランクにランク付けされていたでしょうか?
①4ランク ②5ランク ③6ランク ④7ランク
7、卓袱料理は、今では、長崎の郷土料理として有名ですが、もともとは中国から長崎に渡来したものです。
「卓袱」とは、食事に関係するあるものを指した言葉ですが、「卓袱」とは何を意味したでしょうか?
①テーブル ②イス ③キッチン ④テーブルクロス
8、将軍の食材には、食膳にあげられないものが決められていました。
野菜類では、ねぎ、にら、にんにく、らっきょうなどで、魚類では、このしろ、こはだ、さんま、いわしなどでした。
それでは、鳥類で食膳にあげてはいけなかったものは次のうちのどれでしょうか?
①鶴(つる) ②鴈(がん) ③鴨(かも) ④雉(きじ)
9、醤油は、江戸時代初めは、上方で生産され、大量に江戸に送られてきました。
しかし、徐々に、江戸周辺で生産されるようになり、「下り醤油」を駆逐していくようになります。
その主要生産地は、銚子と野田でした。
それでは、銚子の老舗で、現在も生産量第2位を誇る「ヤマサ」の創業者の名前はなんというでしょうか?
①髙梨兵左衛門 ②濱口儀兵衛 ③茂木七左衞門 ④田中玄蕃
10、江戸っ子にとって初鰹は特別のものでした。
そのため、日本橋魚河岸へ17本入荷した初鰹を、6本は将軍家お買上げ、3本は2両1分で八百善が買い、8本は魚屋へわたり、その中の1本を中村歌右衛門が3両で買ったという話も残されています。
それでは、この出来事が起きたのはいつの時代でしようか?
①元禄年間 ②天明年間 ③文化年間 ④文政年間

