今日は、「江戸の食文化」に関する第6回目の模擬試験問題の正解をアップします。さて、今回の出題は、第5回と同じく大久保洋子先生の「江戸のファーストフード」からとしましたが、原田信男先生の「江戸の食文化」もにらんで出題しています。
基本的な事項を出題してありますので、たとえ正解せきなくても関連事項を含めて記憶しておく必要があると思います。
何にしても「江戸の食文化」の基本となる本は原田先生の「江戸の食文化」ですので、よく読み込んでください。
そんな場合のお薦めが次の講座です。
江戸検を受検される方ぜひご参加ください。
『江戸の食文化』読み込み講座
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1、 ①青山上水
玉川上水から分水された上水は、青山上水、三田上水、千川上水の三上水です。
そのうち青山上水は四谷から、三田上水は北沢から、千川上水は現在の境橋付近で分水されていました。従って正解は青山上水です。
「江戸のファーストフード」参照179ページ
「江戸の食文化」 参照60ページ
2、 ③松平定信
この政策を進めたのは松平定信ですが、幕府の肝いりの割には、関東の酒屋は規模が小さく技術も未発達で、下り酒に匹敵するほどの優れた酒を造ることができずに、この政策はうまくいきませんでした。
このことについては原田信男編「江戸の食文化」にも書かれています。
「江戸のファーストフード」参照78ページ
「江戸の食文化」 参照110ページ
3、 ④この鍋を最初に出したお店の名前から
柳川鍋の由来には諸説があり、九州の水郷柳川を思い浮かべるかたも多いと思いますが、大久保洋子先生は「柳川」という店で売り出されたと書いています。
この説は「守貞謾稿」の記述をもとにしたもので、千葉大学名誉教授の松下幸子先生も採用されています。
「江戸のファーストフード」参照84ページ
4、 ②忍藩
「石城日記」については、参考図書「江戸の食文化」にも取り上げられており、原田信男先生の論文もあるようですので、覚えておくべき書物だと考え問題としました。
「江戸の食文化」の本の中でも取り上げられる「鸚鵡籠中記」は尾張藩士朝日定右衛門の著作、下級武士の食事がよくわかるとして有名な「酒井伴四郎日記」を書いた酒井伴四郎は和歌山藩士、昨年公開された映画「武士の献立」のモデルとなったのが加賀金沢藩の包丁侍舟木伝内です。
「江戸のファーストフード」参照114ページ
「江戸の食文化」 参照58ページ
5、 ①鮭
選択肢として挙げた4項目はすべて初物の規制の対象となっているものです。
この中で、水戸藩が将軍家に献上していたものは、那珂川で初めてとれた鮭を江戸まで二泊三日で届けていました。
「江戸のファーストフード」参照135ページ
6、 ③6ランク
「豆腐百珍」は「江戸の食文化」にも取り上げられており、必須項目でしょう。
「豆腐百珍」では、豆腐料理を「尋常品、通品、佳品、奇品、妙品、絶品」の6ランクに分類されており、これも読書の人気をよんだようです。
「江戸のファーストフード」参照156ページ
「江戸の食文化」 参照66ページ
7、 ④テーブルクロス
「卓袱」という言葉のうちで、「卓」とは「食卓」を意味し、「袱」は訓読みで「ふくさ」と読むようです。
以上からわかると思いますが、「卓袱」とはテーブルクロスを意味する中国語です。
「江戸のファーストフード」参照221ページ
「江戸の食文化」 参照78ページ
8、 ④雉(きじ)
将軍の食膳にあげられない食材については、主なものは記憶しておいた方がよいと思います。
鳥類で、食膳にあげてよいものは、鶴、雁、鴨、兎の4つだけで、それ以外は禁止されていました。
兎は、獣ではなく鳥類という分類にしていたようです。
雉は将軍の食卓にはあがりませんでした。
しかし、朝鮮の人は雉を好んだため、朝鮮通信使の接待用に雉を飼う施設を幕府が持っていたと言います。
その施設があったことが「雉子橋」の由来だという説もあります。
「江戸のファーストフード」参照100ページ
9、 ②濱口儀兵衛
現在、生産量第一位の醤油メーカーはキッコーマン」です。「キッコーマン」は野田の高梨家と茂木家で作ったメーカーです。第3位は、ヒゲタで」、銚子の豪農田中玄蕃が始めました。「ヤマサ」は、第2位で、醤油製造の先進地である紀州湯浅近く広野出身の濱口儀兵衛が、銚子で始めたメーカーです。
「江戸のファーストフード」参照71ページ
「江戸の食文化」 参照168ページ
10、 ③文化年間
江戸っ子は、江戸時代の初期から、初鰹を大事にしました。
寛文5年(1665)には、初物の売出時期を指定する御触書が出されているということは、既にその頃から初物が大事にされたということになります。
その初鰹に対する関心が特に盛り上がったのは、江戸時代後期です。設問の話題は有名な出来事ですが、これが起きたのは文化9年のことです。
「江戸のファーストフード」参照142ページ

