江戸時代後期、さまざまなすしが生まれる中で、その最後を飾るかたちで、文政年間(1818~1831年)に「握りずし」が誕生しました。握りずしの創案者は、両国の「与兵衛鮨(よへいずし)」の華屋(花屋と書くという説もある)与兵衛と言われています。
華屋(花屋)与兵衛
華屋(花屋)与兵衛は福井藩出入りの八百屋の倅で、9歳の時に、江戸蔵前の札差に下男奉公に入り、20歳まで勤めます。その後、何度かの商売替えの末,文政年間、本所横綱の長屋に住んでいて、毎夜、夜明けごろまですしを売り歩いて、金を貯め、両国回向院前に小さな店を持って、与兵衛鮨の看板を上げ、握りずしを創案したと伝えられています。
江戸中の評判となり、鯛ひらめ いつも風味は与兵衛鮨 買手は見世にまって折詰
こみあいて 待ちくたびれる与兵衛鮓 客ももろてを握りたりけり
という狂歌ができるほど賑わいました。
与兵衛鮨があった場所(墨田区両国1-8)近くに、「与兵衛鮨発祥の地」と書かれた史跡説明板が、建てられています。
それによると、「与兵衛鮨」は、昭和5年まで同じ場所で営業していたそうです。
なお、余談ですが、和風レストランチェーン華屋与兵衛とは直接的な関係はありません。
与兵衛が、握りずしを売り出した年は諸説ありますが、文政年間初めと言われています。
しかし、「握りずし」が突然創案されたわけではなく、それ以前にも「握るすし」があり、それをモチーフとして「握りずし」が文政年間には完成をみて、「与兵衛鮓」は最初の大成者となったと言われています。

