「守貞謾稿」には、すしについてかなり詳しく書かれています。
守貞謾稿には、次のように書かれています。「すしのこと、三都とも押鮓なりしが、江戸はいつ比よりか押したる筥(はこ)鮓廃し、握り鮓のみとなる。筥鮓の廃せしは5、60年以来やうやくに廃すとなり。」
すしは以前は押ずしであったけれど、5.60年前になくなって、今は、握りすしとなっていると書いてあります。
ここで、「筥鮓」というのが出てきますが、「筥鮓」というのは、四角の木枠の中にすし飯を詰めて、具を乗せて、蓋をしめて、手で押さえた寿司です。
今でも大坂では作れてていますので、ご存知の方も多いと思います。
「守貞謾稿」でも。
「筥鮓」というのは方四寸ばかりのごとき筥に飯と酢と塩を合せ、まづ半ばをいれ、醤油煮の椎茸を細かにきりこれを納れ。また飯を置き。その上に鶏卵やき、鯛の刺身、鮑の薄片を置きて縦横十二に斬る
と説明してあります。
次に握り鮓の具についても書かれています。
江戸、今製は握り鮓なり。
鶏卵焼、車海老、海老そぼろ、白魚、まぐろさしみ、こはだ、あなご甘煮長のままなり。以上、大略、値8文寿司なり、その中、玉子巻は16文ばかりなり。」
さらに
「江戸は鮓店はなはだ多く、毎町1、2戸。 蕎麦屋1、2町に1戸あり。」と書かれていて、蕎麦屋同様に多くの鮓屋がある状況がわかります。
そして、その次に、有名な江戸の鮓屋が書かれています。
「江戸鮓に名あるは本所阿武蔵の阿武松のすし、上略して松の寿司と云ふ。天保以来は店を浅草第六天前に遷す。また呉服橋外に同店を出す。」
この「阿武松のすし」ですが、最初、私は、これを「オウノマツのすし」と読みました。
相撲部屋に「阿武松部屋」というのがあって、「オウノマツベヤ」と呼ぶからです。
しかし、よく考えてみると「阿武」は「あたけ」ですので、「阿武松のすし」は前回紹介した「安宅」の「松の鮓」のことですね。
次いで「東両国元町与兵衛寿司」と「へつつい川岸毛抜寿司」と「深川小松鮓」が挙げられていて、「毛抜鮓」は、「1,2文にて各々笹巻にす。巻きて後、桶に積み、石をもってこれを圧す。」と紹介されています。

